パレスチナ講演会
いつものようと言えばそうだが、今回は今まで以上に時間はなかったし、いきあたりばったりのようなスタートだった。
何のことか、私も加えていただいている市民運動サロンの講演会。今回は、開催日が日曜日であったこと、また年度末のあわただしい時期であったことに加え、突然の葬儀も加わり、ほとんどお手伝いが出来なかった。
事の発端は、サロン終了後の飲み会の席。毎週金曜日に例会を喫茶店で行なっている(と言っても、ただの茶飲み話とも言える)が、時によれば集会後に呑み助のメンバーの方と居酒屋に繰り出す。私は全く飲めないのだが、いつも楽しく付き合って下さる。
先月のこと。いつもはたいてい3人だけなのだが、この時は、サロンの代表者でもある通称“姉御”またの名を“マダム”の女性も遅れて居酒屋に来られた。メンバーの一人が、マダムに「Oさんを呼んで講演会をしよう」と何度もおっしゃった(だいぶ酒が入っていたのだが・・・)。マダムは昨年末からのイスラエルのガザへの攻撃にとても心痛めておられた。何かせねばとの思いを強くもたれており、イスラエルへの抗議のためのデモをすることも考えられていたのだが、個人の力だけではどうしようもないことで苛立ちを覚えておられたのだろう。その席では、ゴーサインを出されなかったが、翌々日に送られてきたメールに私は驚いた。「Oさんを呼んで講演会をすることになった。出来るだけ早い時期に行ないたい」とのこと。更にその三日後には日時と場所、講演前に上映する映画の段取りまでが決定事項として伝えれらて来たのだ。
3月22日だって・・・(日曜日であることに少し戸惑いを覚えたが)、残り一ヶ月ではないか。いつものことながら、マダムの行動力と決断の早さには、驚かされる。
それからが、チラシの作成、諸団体への宣伝活動などなど。メンバーの男性たちは、マダムの指示(?)のもと、てきぱきと動きまわる。私は何も出来なかったが、皆さん、出来る限りのことをして行動された。
講演会前日に講師を交えての懇親会。土曜日のことなので、私は参加は出来なかったが、妻から聞くところによると、この日もマダムは不安を表明されていたとのこと。あの決断力とこの気の弱さ。何だか矛盾するようだが、これがマダムの人となり。どうも事前には券が数十枚も売れてなかったらしい。「50人集まるだろうか」と何度ももらしておられたらしい。
講演当日。この日は生憎の雨。礼拝とその後の教会での話し合いを終え、私が講演会場にたどり着いたのは、3時過ぎのこと。早く講演を聞きたい気持ちと同時に、どれだけの人が集まって下さっているかの不安を抱きながら、扉の前にたった。ドキドキドキドキ・・・
何と、そこには、100人を越える方たちが集って下さっていた。
「良かった」
これが私の正直な思い。サロンのメンバーはみんな、特にマダムもホッとしておられた。手前味噌にはなるが、それにしても、サロンって動員力があるのかなあ。今回で講演会は8回行なったが、出席者が100人を下回ったことはない。メンバーの地道な宣伝活動もあるのだろうが、テーマの設定も良かったのか・・・それと、地味ながら、サロン自体が一定の評価を受けていることもあるのではとも思わされる。いろんなことを考えさせられた講演会だった。
今回の講演の内容等に関しては、またの機会に記したい。
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