カテゴリー「社会」の8件の投稿

パレスチナ講演会

いつものようと言えばそうだが、今回は今まで以上に時間はなかったし、いきあたりばったりのようなスタートだった。

何のことか、私も加えていただいている市民運動サロンの講演会。今回は、開催日が日曜日であったこと、また年度末のあわただしい時期であったことに加え、突然の葬儀も加わり、ほとんどお手伝いが出来なかった。

事の発端は、サロン終了後の飲み会の席。毎週金曜日に例会を喫茶店で行なっている(と言っても、ただの茶飲み話とも言える)が、時によれば集会後に呑み助のメンバーの方と居酒屋に繰り出す。私は全く飲めないのだが、いつも楽しく付き合って下さる。

先月のこと。いつもはたいてい3人だけなのだが、この時は、サロンの代表者でもある通称“姉御”またの名を“マダム”の女性も遅れて居酒屋に来られた。メンバーの一人が、マダムに「Oさんを呼んで講演会をしよう」と何度もおっしゃった(だいぶ酒が入っていたのだが・・・)。マダムは昨年末からのイスラエルのガザへの攻撃にとても心痛めておられた。何かせねばとの思いを強くもたれており、イスラエルへの抗議のためのデモをすることも考えられていたのだが、個人の力だけではどうしようもないことで苛立ちを覚えておられたのだろう。その席では、ゴーサインを出されなかったが、翌々日に送られてきたメールに私は驚いた。「Oさんを呼んで講演会をすることになった。出来るだけ早い時期に行ないたい」とのこと。更にその三日後には日時と場所、講演前に上映する映画の段取りまでが決定事項として伝えれらて来たのだ。

3月22日だって・・・(日曜日であることに少し戸惑いを覚えたが)、残り一ヶ月ではないか。いつものことながら、マダムの行動力と決断の早さには、驚かされる。

それからが、チラシの作成、諸団体への宣伝活動などなど。メンバーの男性たちは、マダムの指示(?)のもと、てきぱきと動きまわる。私は何も出来なかったが、皆さん、出来る限りのことをして行動された。

講演会前日に講師を交えての懇親会。土曜日のことなので、私は参加は出来なかったが、妻から聞くところによると、この日もマダムは不安を表明されていたとのこと。あの決断力とこの気の弱さ。何だか矛盾するようだが、これがマダムの人となり。どうも事前には券が数十枚も売れてなかったらしい。「50人集まるだろうか」と何度ももらしておられたらしい。

講演当日。この日は生憎の雨。礼拝とその後の教会での話し合いを終え、私が講演会場にたどり着いたのは、3時過ぎのこと。早く講演を聞きたい気持ちと同時に、どれだけの人が集まって下さっているかの不安を抱きながら、扉の前にたった。ドキドキドキドキ・・・

何と、そこには、100人を越える方たちが集って下さっていた。

「良かった」

これが私の正直な思い。サロンのメンバーはみんな、特にマダムもホッとしておられた。手前味噌にはなるが、それにしても、サロンって動員力があるのかなあ。今回で講演会は8回行なったが、出席者が100人を下回ったことはない。メンバーの地道な宣伝活動もあるのだろうが、テーマの設定も良かったのか・・・それと、地味ながら、サロン自体が一定の評価を受けていることもあるのではとも思わされる。いろんなことを考えさせられた講演会だった。

今回の講演の内容等に関しては、またの機会に記したい。

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レンタルビデオ

レンタルビデオ、今はレンタルDVDか。レンタルビデオ屋とは言ったが、レンタルDVD屋とは言わないから、レンタルショップとでも言えばよいのか。

全く日常生活の中に入り込んだものだが、今から20年以上前、初めてレンタルビデオなるものを見た時は、非常な衝撃を受けた。レンタルレコード屋のワンコーナーで見かけたのが最初だった。1本の値段は、1500円だったと記憶している。それも今のように7泊8日ではなく、2泊3日だったと思う。それでも、自宅で名作映画が観れるのに感激して、大好きだった『シェーン』を借りた。確か、84年か85年頃だったと思う。それからこの手の店が雨後のたけのこのように出現して、料金見る見るうちに下がっていった。

それまでは映画を観るのは映画館というのが当たり前。テレビでオンエアされる(その頃は、ケーブルテレビもBSもなかった)ことはあっても、その時その時間にしか見れなかった。それが、自宅で好きな時に観れるようになったのだから、画期的であった。今まで観たくても観れない映画を、観まくったものだった。

あれから20年以上がたった。「映画は映画館で観るもの」とは思っている。しかし、重宝しているのも事実だ。ただ、何だか、あの頃の感動というのがないのだなあ。今日は、2月に劇場で観た『それでもボクはやってない』を借りて来た。さて、ゆっくり観よう。

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17年ゼミ

今年は、17年ごとに大発生する“17年ゼミ”の羽化の年にあたり、イリノイ州などの米国中部でピークを迎えていることを、先日の『ダーウィンが来た!』で放送していた。その予想発生数たるや、世界の総人口を上回る70億匹というから驚き。このセミはその名の通り、17年に一度大量発生する。私たち日本人にとっては、毎年現われるセミは、夏の風物詩といえるほどの存在だが、アメリカではどうやらそうではないようで、「セミは安全です。刺しません」との新聞広告が出るほど、“セミなれ”していない。私たちにとっては、何と云うか日常の“音”になっており、気にしなければ、うるさいとは感じないのだが、17年に一度しか“出逢わない”米国人にはその鳴き声はとてもうるさいそうだ。そらそうだわな。何せ、次にこのセミと遭遇するのは、2024年なのだし、今年10歳の子は27歳までは見かけないのだから。それにしても、番組でも映されていたが、70億匹は半端じゃない。木もセミだらけだし、地面もその死骸がうず高く積み上げられたようなありさま。

この17年ゼミは主に米国北部に発生するのだが、同じような種類のもので、米国の南部地方には13年ゼミというのがいるそうだ。13年と17年、共通項は、いずれも素数であること。これは両方のセミが同時に発生した時に、間違えて交尾しないようにするための知恵だろうとのこと。

素数の13と17が重なるのは221、だから、13年ゼミと17年ゼミが同時に発生するのは221年に一度ということになる。その年は今年どころでないだろうけど、出逢いの確率としては正に、運命的なものになるわなあ、とせみぜみしている(あっ違った、しみじみしている)。

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慙愧に堪えない

松岡農水相の自殺についての安倍首相のコメントが問題になっている。

あまり言葉尻をとらえて、あげ足をとるようなことはしたくないのだけど、首相サイドの言うように、「反省の意味でも使われており、問題はない」というのも、どうにもこうにもすっきりしない。

「ザンキにたえない」というのを、残念だ、という意味で使ったのだったら、「慙愧」にはそのような意味はないのだから、間違いを認めるなり、誤解していたと言えば済むことだと思うのだけど、どうだろうか。

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東洋町最終処分場問題

東洋町に誘致されようとしている「高レベル放射性廃棄物最終処分施設」の問題で高知県が揺れている。これだけ大きな問題であり、全国ニュースでも流されているのに、何だか地元では切迫感がないように感じられる。ご他聞にもれず、高知も統一地方選で8日は県会議員選挙が行われる。当然、この問題が“争点”と思いきや、そうでもないのである。

事前に調査した質問状の結果が、地元紙には載せられていない(公開質問状を出したことは記事にはなったのだが)。毎日新聞の地域ニュースの紙面に、今週に入って月曜から、文献調査を開始することの賛否を問うたアンケート調査の結果を載せているが、こんな尋ね方のアンケートでは何の意味もない。「地元議会や住民の合意が十分に図られているとは言えない状況で」とうたって賛否を問うたって、ほとんどみんな(高知市選挙区の立候補者では一人だけ「どちらでもない」の△)反対と答えるに決まっているじゃないか。一つの試金石は、県条例の策定に積極的かどうかなんだから。そのことこそが、まず一つの大きな試金石になるのだから。

と書いていたら、大ニュースが飛び込んできた。東洋町の田嶋裕起町長が今日の町議会運営委員会で辞意を表明し、明日の臨時町議会で辞表を提出するのだという。これは何かあるな。そして町長側には何か目算があるのだと思う。リコール回避というだけでなく、選挙の前倒しを図ってのことじゃないかな。心して、かからないといけないように感じる。それにしても、県議選の直前での辞意表明は何かあるよ。それだけならよいのだが・・・。明日その辞任が承認されれば、50日以内に選挙となり、来月20日または27日に投票の可能性があるという。機先を制するつもりだろうか。ここで慌てないことである。

先々週あたりから、反対派の勢力を結集し、この問題を県下だけでなく、全国、いや全世界に大きな動きを示すための、フォーラムの開催を準備しているのだけど、これは急いだ方が良いようだ。パネラーを4人ほど立てての集会を考えていたが、これは軌道修正が必要かもしれない。そのための準備会を明日も行い、呼びかけて、15日には共同準備会を行う予定だが、とにかく

「反対」で足並みを揃えること。「批判をしない」ことを肝に据えて、何が一番必要かを考え、祈っていかねば。

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おじさんは怒っているぞ!<`ヘ´>

車を買い替えることになり(これについては話が長くなるので、ここでは割愛)、必要書類を揃えて、車庫証明の申請のために、買い付けた中古車業者さんに警察に行ってもらった。

すると、その業者さんが戻って来られて、もう一度書類を出し直してくれとおっしゃる。理由を訊いてみると、使用者欄の郵便番号を修正液で書き直してあるので、もう一度出し直せと言われたという。

確かに、私は住所を記す際に、郵便番号を修正液で書き直した。

しかし、・・・である。

そうだ。だが、しかし である。

伊勢崎教会は単独の宗教法人格を取得していない。土地・建物の名義人は包括法人の宗教法人日本バプテスト連盟である。書類中の土地所有者(?違ったかも)の欄の記載と捺印は、連盟事務所(さいたま市)にお願いしなければならないのだ。

まあ、修正液で訂正して書き直したことは、百歩譲って承知しよう(それさえ致命的なミスだとも思えないが)。提出し直すために渡された新しい用紙を見て、愕然とした。

何と、そこには、既に土地所有者名欄以外の欄には、すでに必要事項が書き込まれているのだ。おそらく、業者さんが気を利かせて、書いて下さったのだと思うのだが、どうもそれは警察で書いて下さったそうなのだ。

<`ヘ´><`ヘ´><`ヘ´>

第三者が使用者等の記載事項は書くことはとやかく言わないのに、修正液で書き直した事項、それも使用者名や住所の記載ならいざ知らず、

郵便番号 、郵便番号

を訂正したものは受け付けないというのだ。その理由は規則ですから、とのことらしい。

その業者さんは、窓口の担当者だけでなく、上の方にも掛け合って下さったそうだ。しかし、規則だから、駄目の一点張り。ただ、車の搬入のことがあるので、その訂正した用紙で手続きは進めてくれることにはなったそうだ。しかし、再度書き直した用紙も提出するようにとのこと。

一体、どういうことなのか。おじさんは怒っているぞ、<`ヘ´>

警察やお役所の職員の方たちのことを、「お役所仕事だ」と十把一絡げにしてしまうのは良くないのかもしれない。しかし、私は正直言って納得がいかないし、その業者さんにも、また連盟事務所の方にも、申し訳ない気持ちとなる。これって理不尽な主張なのだろうか・・・。

どうなのでしょうか。

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ぼくは13歳職業、兵士

ほとんど何も知らずに出かけた。ウガンダの少年兵の話のようだ。鬼丸昌也、テラ・ルネッサンス 知らないなあ。

思っていたよりもずっと若い。チラシの写真とは全然違う、別人のよう。

これは話慣れている、早口だ、口がうまそうで、何だか薄っぺらにさえ思える。

途中までの感想である。ウガンダの子どもたちの深刻な現状、少年兵として使い捨てにされていることなど、内容は非常に重たく、暗澹たる思いにさせられるほど。

しかしこの青年(28歳)はあえて意図的にこのように明るく、さりげないほどに話していることに気づく。彼は希望を失っていない。ひとりからでもことを起こせるし、彼はそれを着実にやり遂げている。ダイアナ妃然り、マザー・テレサ然り。

鬼丸さんは努めて淡々と、明るく話しされていく。その話し方に好感を持ち出したのは、彼が誰のことも悪く言わないことに気づいてから。そしてその前向きさと明るさに心が捉えられるようになった。そうだ、平和運動とは、人に幸せを与える働きなのだ。人に希望を与え、ちょっぴりでも人に優しくしようと思わせて、前向きに生きていくことを促すことなのだ。

「人の為に活動しているのではない、自分の為にやっているのだ」「“私たちは”という言い方は好きではない、重要なのは“私は”だ」「ひとりから始める、ひとりから変わる」「あなたにも出来ることがある」

講演後に、ロビーで著書にサインをしてもらった後に、親しく話させていただく時が与えられた。この素敵な出会いに感謝。

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街頭署名活動

昨日は、礼拝後に、久しぶりに街頭に立って、署名集めをした。東洋町に建設されようとしている、高レベル放射性廃棄物最終処分場の拒否条例の制定を求める陳情書の署名。最初は少し気恥ずかしくって、なかなか声が出せなかったが、そのうち通行されている人の方から、「署名させて欲しい」と声をかけてもらった。中には「頑張って下さいね」とエールを送って下さる方もいた。

しかし中には、「原子力を使うことで生活を成り立たせておいて、自分のところにだけは来て欲しくないというのは、おかしい」と問い直してくる人もいた。そう、みんなでこのことを議論したらよいのだ。議論のないまま、事が進められていくことが問題なのだ。

みんなで話し合うことはめんどくさいし、時間がかかる。でもそれを怠ってしまうことは本末転倒だ。この東洋町のことに限らず、自分の周りのこと、特に教会運営に関しても同じことが言えると思う。めんどくさくとも、遠回りに思えても、人の意見に耳を傾けること、教訓となった。

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