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8月19日 「静かなる細き声」 

「静かなる細き声」  2012年8月19日

  列王記上19章1~18節  平林  稔

 みなさん、お帰りなさい。先週は平和主日礼拝として守りましたので、旧約を離れましたが、今日はまた列王記です。列王記、これは字のごとく、イスラエルの国の王の列伝です。ソロモン王の死後、国は二つに分裂しましたが、この列王記には、南のユダ王国と北のイスラエル王国の両方の国の王さまの事が記されています。その王たちの伝記の中に、主から遣わされた預言者たちのことが書かれています。預言者、これは、単に未来の予知をする人のことではありません。預言の“預”は「預ける」、神の言葉を預けられて民たちに伝える役割を託された者たちのことです。ですから、彼らの語る言葉の中には、民や国の将来のことも含まれてはいました。

 そんな預言書の一人が、今日の話の中に登場するエリヤです。彼は、南北に分裂した王国の北王国イスラエルで、アハブという王様の治世に活躍した預言者です。アハブ王は、外国から迎えた妻イゼベルと共に、北王国の中に、バアルという外国の異教の神を持ち込み、その偶像を祭る祭壇を国の中に積極的に築いた王でした。妻、すなわち王妃であったイゼベルは、主なる神に仕える預言者たちを迫害し、その多くを殺害しました。

 今日の19章の前の18章には、エリヤが一人で、バアルの預言者たち450人と、カルメル山で対決して勝利した有名な話が記されています。今日はこのことは詳しく述べませんが、干ばつに襲われたイスラエルの国に、雨を降らせるように双方の預言者がそれぞれの神に祈ったのですが、雨を降らせたのは、エリヤの祈りでした。イスラエルの神、ヤハウェこそが、御自分こそまことの神であるあることを示して下さったのです。それを見たイスラエルの人々は、エリヤの言葉に従い、バアルの預言者たちを皆殺しにしました。

 19章はそれに続く話です。これでアハブ王も王妃イゼベルも悔い改めて主なる神さまに立ち帰り、バアルを棄てたかというと、そうならないのが世の常のことです。エリヤがバアルの預言者たちを剣で殺したことを知ったアハブ王の王妃であったイゼベルは、使者を送ってエリヤに2節で「わたしが明日のこの時刻までに、あなたの命をあの預言者たちの一人の命のようにしていなければ、神々が幾重にもわたしを罰してくださるように。」と言い、エリヤ殺害を命じました。このイゼベルは、聖書の中に登場する鬼嫁の中でも最強の一人、最悪妻だとも言われている女性ですが、この2節の言葉も「明日の今頃までに自分の命を懸けて、エリヤを殺す」との宣言です。

 カルメル山でたった一人で、バアルの450人の預言者と逃げも隠れもせずに戦ったエリヤですから、王妃であったとはいえ、一人の女性の言葉にめげるような人物ではないように思うのですが、このイゼベルの強烈さは、当時の国の人々には知られていたのでしょうか、イゼベルの言葉を聞いたエリヤは、3節にあるように一目散に逃げました。巻末の地図をご覧いただければと思いますが、5『南北王国時代』の地図です。カルメル山は、地中海沿岸の北王国の北の方、ここからベエル・シェバ、南ユダの南部まで逃げているのです。半端な逃げ方ではないですね。彼に従っていた従者をそのベエルシェバの町に残して、自分は更に荒れ野にまで入り、更に一日の道のりを歩き続けたというのです。一人の女性の言葉だけで、一目散に逃亡しました。4節後半「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません」。もう生きる気力さえなくしています。

 エリヤは、単に苦しみや悲しみによって絶望したのではないでしょう。カルメル山での大勝利、それはものすごいエネルギーが必要だったでしょう。アドレナリンも全開。緊張、プレッシャー、ストレスに満ちていたかもしれません。そしてその戦いに勝利した。それも誰の眼にも明らかな、完全勝利です。大きな喜びにも満たされたでしょう。しかしそれが何の実りも生まなかったように思える事態に直面して、彼は自分がやって来たことが一体何であったのかという気持ちに襲われたのではないでしょうか。

 そんなエリヤに、神は御使いを遣わして、食べ物を与え、神の山ホレブへと導かれます。神はエリヤを活かし、もう一度用いようとされたのです。ホレブとは、あのモーセが十戒を与えられた山、シナイ山の別名です。イスラエルの民と主なる神さまとの出会いの原点とも言える場所です。彼はそこの洞穴で世を過ごすのですが、その時主の言葉を聞きます。「エリヤよ、ここで何をしているのか」全能なる神さまのことですから、彼が何をしているのかは、百も承知のはずです。これは「こんなところで何をしているのか」という叱責の言葉ではありません。原文から少し大胆に訳すなら、これは「あなたにとって、今ここで問題であることは何か」神さまは、エリヤを責められるのでなく、また励まされたのでもなく、「あなたは何を問題としているのか、何を苦しんでいるのか」と問うておられるのです。

 彼の答えが10節です。「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」

神はエリヤに語ります。11節「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」。この時、エリヤは洞穴の中にいました。これは単に引きこもっている者に対して「外の世界を見なさい」というようなことではありません。エリヤはイゼベルが怖くて逃げたというより、主なる神さまから逃れようとしたのです。その彼に向かって神がおっしゃったのは「主なる神の前に立つこと」です。ここでのエリヤほどではなくとも、私たちも自分の歩みの中で、挫折を感じたり、時には絶望感に苛まれることがあります。エリヤのように、自分自身の洞穴の中に引きこもってなかなか抜け出すことが出来ない時があるものです。

それが前に向かって歩み出せるのは、主なる神の前に立ち、自分の顔を主なる神に向けること、そのことによってだけなようです。当面の問題を解決することは、前に向かって歩み出す条件ではないのです。私たち信仰者が歩み出せるのは、神さまの前に出て、その無力な自分自身を献げることによるのです。

しかし、エリヤは、すぐには洞穴から出て来れませんでした。彼の受けた傷と痛みはそれほどに深かったのです。エリヤが閉じこもっていた洞穴の前を主なる神が通り過ぎられたことが11節に記されています。

「見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を/裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。」

山を裂き岩を砕くような激しい風と地震と火、それらのことが洞穴の中にいたエリヤの前で起こったのです。しかし、ここでは、「主はおられなかった」と聖書は語ります。「主がおられる」というのは、どういうことなのでしょうか。ここでの風と地震と火も、神さまが起こされたものなのでしょうが、そこには主は居られなかったというのです。被造物である人間は神さまを見ることは出来ません。しかし、姿が見えずとも、私たちは神さまとの出会いを体験することは出来ます。エリヤは風の中にも、地震の中でも、火の中でも、主なる神との出会いを体験しなかったのです。

これらの現象は、ある意味、カルメル山でのバアルの預言者との対決の体験にも通じます。私たちは神さまが私たちと共におられることを、そういった特異な、特別な体験の中に求めたくなるものです。エリヤも、バアルとの対決の勝利の後には、天から主の火が降り、自分の戦いが実を結ぶという達成感の中に、神さまとの交わりと信仰の土台に置いたのです。しかし、それは、彼を活かすことにはならなかった。イゼベルの前から、いやイスラエルの社会から、そして神さまの前から逃げ出させることにしかならなかったのです。

この時の洞穴のエリヤも、これらの出来事の体験によっては、洞穴から出て来ることはありませんでした。彼を洞穴から導き出し、彼が神さまと出会えたのは、そういった特異な体験ではなかったのです。それは火の後に彼の耳に聞こえた「静かにささやく声」でした。以前の訳では「静かな細い声」でした。神さまとの出会い、そしてその臨在を感じての交わりの中で生きること、それが信仰者としての在り方です。エリヤは、一人で450人の異教の預言者との戦うことは出来ました。また、地震や火や風の体験をしました。しかし、そういったことに信仰の土台をおいても、私たちが前に歩み出すことにはならないのです。大きな激しい体験、華々しい勝利や成功、あるいは私たちの達成感、そういったことは、本当の意味での私たちの信仰の土台とはならないことを、この話は伝えてくれます。

エリヤが洞穴から出て来ることが出来たのは、彼を外に導き出したのは、静かにささやくような細い声だったのです。大きな仕事をやり遂げること、また風や火やましてや地震、それは日常的な出来事ではありません。もしそれらのことの中で、エリヤが神と出会い、洞穴から出て来ることが出来たのであれば、私たちは大変です。しかし、静かな細い声、これは決して大きな出来事ではありません。エリヤがその小さな出来事を通して、主なる神と出会い、洞穴から出て来ることが出来たことは、私たちにとっては、大きな慰めとなるのではないでしょうか。

そして再び「エリヤ、ここで何をしているのか」と尋ねられます。しかしここでのこの問いかけは、9節の問いかけと同じ言葉ですが、意味合いは大きく異なるでしょう。14節のエリヤの答えからも、彼の不安と恐れの問題は解決していません。しかし、彼はそのままで主の前に出てきたのです。これで良いのです。

神さまは再び「エリヤよ、ここで何をしているのか」と問うてくださいます。ここでの彼の答えも前と同じですが、この時は、神の前に出ての答えです。それを聞いた神の答えは、前とは違います。「行け、あなたの来た道を引き返し」とあります。直訳すれば「行け、帰れ、あなたの道を」です。そして、彼がすべきことを、彼に託される事柄を命じておられます。

これは単に、苦しみの中にいるエリヤに対しての慰めと励ましではありません。むしろ、エリヤに新たな使命を与え、彼を元いた場所へと遣わしておられるのです。

私たちも、主なる神の前に立つこと、これは何もこの二本の脚で立つことではありません。自分の主体的判断で、神と相対するということです。その私たちは、静かな細いささやくような声で、私たちを洞穴から導き出し、次に歩むべき道筋を伝えて下さるのです。祈りましょう。

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8月12日 平和主日礼拝 「ピースメイカー」

マタイによる福音書5章9節

みなさん、お帰りなさい。本日は平和主日礼拝として礼拝を守っています。

「平和を実現する人々は幸いである」と主イエスはおっしゃっています。

以前の訳では「平和をつくり出す人たちは」となっていました。これは、

イエスさまからの私たちへの「平和を実現し、つくり出す者は幸いだ、

そういう者になれ」という命令でしょう。

 この「平和を実現する人々」という言葉ですが、原文では、平和という言葉と「造る、生み出す」という言葉が結合された一つの単語です。英語で言えば、今日のタイトルにしましたように、“peacemaker”です。

私たちは、イエスさまから“peacemaker”となっているか、そのように生きているか、と問われているのです。調停者、仲裁者

 イエスさまは、平和を愛する人々は幸いだとおっしゃっているのでも、平和を願う人々は幸いだ、といっておられるのでもありません。平和を実現し、つくり出す人々が幸いだとおっしゃっているのです。平和を実現するとは、争いや対立があるところに、平和を確立すること、人と人とが、あるいは自分と人とが対立し、いがみ合ってしまう、その問題を解決し、関係を正すことです。英語の調停者、仲裁者です。しかし、私たちはそのように平和を実現するのではなく、ただ争いを避け、問題から逃げ、またただ先送りするだけということが多いように思います。それは、平和を好むことではあるかもしれませんが、実現することとは到底言えません。本当に難しいことです。

 それでは、ただ争いをさけているだけでは平和を実現することにはならないから、その当面の問題解決に向けて、行動すればよいのでしょうか。争いというのは、互いが自分の正しさを主張することによって起こります。それぞれに自分の言い分があるのです。相手に自分の正しさを認めさせ、自分の言い分を受け入れさせる、そうなれば問題は解決する、そう思って行動するから争いは起こるのです。自分の正しさを確信している人ほど、そういう争いをしたがります。問題から逃げていてはいけない、ちゃんと白黒決着つけなければならない。しかしそれは結局、自分が相手に勝って、相手の間違いを正して、自分に屈服させることにしかならないのです。人間のすることです。争いや対立において、どちらかが完全に正しくて、どちらかが完全に間違っているというようなことはないからです。

 「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」と主イエスはおっしゃいました。平和を実現する人々は、神の子と呼ばれるのです。神の子、それは神のような人ということでしょう。それほど平和を実現することは困難だということです。そんなこと、私たちに出来ない、イエスさまは私たちに出来もしないことを命じられたのか、と思わされるほどです。しかし、イエスさまはその無理なことを私たちに命じておられるのです。

 この地上に平和を実現することは大変難しいことです。私たちにはせいぜい平和を願い祈ることくらいしか出来ない。主イエスさまはそのことはよくご存知でした。それゆえに、「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子とよばれる」と言われたのです。

 しかし、イエスさまのこのお言葉は困難さのみを語っておられるわけではありません。「幸いです」と言われています。それは、あなたがたはこの幸いに生きることが出来るという宣言をして下さっているのです。それはどのようにしてか。それを知るカギも、「その人たちは神の子と呼ばれる」という言葉の中にあります。「神の子」とは「神のような人」という意味だと先ほど申しました。それは、私たちがそう呼ばれる時には、そういう意味になるだろう、ということです。そして文字通り、神の子であられる方がただ一人おられます。それは言うまでもなく、主イエス・キリストです。イエスさまは神さまの独り子、文字通り神の子です。その神の子イエスがこの世にお生まれになったのは、私たちと神さまとの間に平和を実現して下さるためでした。神の子主イエスは、平和を実現する者としてこの世に来られたのです。

 私たちは元々、神さまに背き逆らい、敵対していました。それは神さまとの間が平和でなかったからです。信仰を持って神さまの下に生きるようになると、自分の自由を奪われ、自分らしく生き生きと生きることが出来なくなるという思いは、正にその敵対関係の現れです。神さまを自分の自由を奪い、」束縛する敵と感じているからです。

 エフェソの信徒への手紙214節以下354頁「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」

 イエスさまの十字架の意味がここにあります。それは神さまと敵対してしまっている私たちが、神さまとの間にある敵意という隔ての壁を取り壊して下さったのです。そのために、イエスさまは神と敵対してしまった私たちの身代わりとなって十字架で死んで下さった。

 私たちが平和を実現する者としての幸いに生きることが出来るのは、この神の子が、自分の罪の身代わりとなって死んでまで下さったことをただ信じることによるのです。

 この主イエスの自己犠牲によって、私たちは神さまとの間に平和を得ることが出来たのです。神さまを信じるということは、その敵意を取り除かれ、神さまの下で生きることを喜ぶ者となるということです。信仰者は、神さまとの平和を得ているのです。この平和を実現して下さったイエスさまこそが、私たちのピースメイカーとなって下さったのです。

 私たちには、平和を実現する力はない、しかし、私たちが平和を実現する者としての幸いに生きることが出来るのは、そのイエスさまを信じ、そのイエスさまの歩まれた道を歩むことによってです。

 矛盾して聞こえるかもしれませんが、「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」という今日の御言葉は、頑張ってこのようなものになれという命令ではなくて、あなた方のような無力な者であっても、この幸いに生きることが出来るという約束なのです。天における神さまと私たちの間の平和を実現して下さった主イエス・キリストと共に合うならば、私たちはこの地上に、天にある平和を映し出し、平和を実現する神の子として歩むことが出来るのです。

 最後に、週報の巻頭言にも記しましたが、そのようにピースメイカーとして歩んだ一人の人物の言葉を読んで終わりたいと思います。その人の名は、マルティン・ルーサー・キング キング牧師の名で知られ、“I have a dream”のスピーチでも有名なアメリカの公民権運動の指導者です。彼はサザンバプテストではありませんが、バプテスト派の牧師でもありました。手短に彼の歩みを紹介するのは、困難ですが、差別の激しかったアメリカ南部において、黒人の人種差別撤廃のために奔走しました。彼の運動を貫く理念は非暴力主義です。彼自身はインド独立の父とも言われるガンジーに倣ったのですが、彼の根底にあったのは、イエスの

彼は、ただ、そのイエスさまに倣ったのです。

 「汝の敵を愛せよ」

マルティン・ルーサー・キング 

「あなたがたの他人を苦しませる能力に対して、私たちは苦しみに耐える能力で対抗しよう。あなたがたの肉体による暴力に対して、私たちは魂の力で応戦しよう。どうぞ、やりたいようにやりなさい。それでも私たちはあなたがたを愛するであろう。

どんなに良心的に考えても、私たちはあなたがたの不正な法律には従えないし、不正な体制を受け入れることもできない。なぜなら、悪への非協力は、善への協力と同じほどの道徳的義務だからである。

だから、私たちを刑務所にぶち込みたいなら、そうするがよい。それでも、私たちはあなたがたを愛するであろう。私たちの家を爆弾で襲撃し、子どもたちを脅かしたいなら、そうするがよい。つらいことだが、それでも私たちは、あなたがたを愛するであろう。

真夜中に、頭巾をかぶったあなたがたの暴漢を私たちの共同体に送り、私たちをその辺の道端に引きずり出し、ぶん殴って半殺しにしたいなら、そうするがよい。それでも、私たちはあなたがたを愛するであろう。

国中に情報屋を回し、私たち黒人は文化的にもその他の面でも人種統合にふさわしくない、と人々に思わせたいなら、そうするがよい。それでも、私たちはあなたがたを愛するであろう。

しかし、覚えておいてほしい。私たちは苦しむ能力によってあなたがたを疲弊させ、いつの日か必ず自由を手にする、ということを。私たちは自分たち自身のために自由を勝ち取るだけでなく、きっとあなたがたをも勝ち取る。そうすれば、私たちの勝利は二重の勝利となろう」お祈りをしましょう。

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7月15日 礼拝説教 『恐れよ!』           サムエル記下6章1~19節

※ タイトルを予告から変更しました。

 みなさん、お帰りなさい。本日のサムエル記は下の6章です。先週は、ダビデがユダ族という一部族の王だけでなく、イスラエル全土の王、国王になったことを見ました。545節には「ダビデは三十歳で王となり、四十年間王位にあった。七年六か月の間ヘブロンでユダを、三十三年の間エルサレムでイスラエルとユダの全土を統治した」とあります。その最初の76カ月の間、これがユダ族の王であった時期ですが、そこから、エルサレムに移ってイスラエル全土の王となっていったのです。

 先週は55節までみましたが、5章の6節以下には、彼の根城、根拠地をヘブロンからエルサレムに移した経緯が記されています。エルサレムというと、現代においてもイスラエルの国の首都ですが、今日のダビデの時までは、国の中心地ではなかったのです。56節には、この町はエブス人の町だったとあります。そこをイスラエルの国の王となったダビデが攻め取って、国の中心地へと築いていった、その始まりの時なのです。だから言ってみれば、これはエルサレム遷都です。その遷都に際して行ったのが、本日与えられた聖書の箇所である61節からに記されている神の箱をエルサレムに運び入れることでした。

 神の箱については、週報の巻頭言(土曜の記事)に簡単にですが書いていますので、そちらもご覧下さい。これは、契約の箱とも、また掟の箱とも呼ばれ、モーセがシナイ山で与えられた十戒の掟の言葉が刻まれた石の板が入れられた箱のことです。

  十戒は、十個の戒めと考えられています。しかしこれは単なるタブーの言葉ではありません。今日はその十戒の文言について詳しく話す時間がありませんが、十戒は、神と人間との契約の言葉であり、その十戒の最初の言葉は「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」でした。ゆえに、十戒は、神さまとイスラエルの民との、解放の恵みに基づいてむすばれた契約の印です。そして、イスラエルの人々が神の民として生きる基本を教える十戒の石の板を納めた神の箱、契約の箱こそは、神の民として歩むイスラエルの解放の象徴でもあります。ダビデがエルサレム遷都にあたって、その神の民イスラエルの解放の象徴である神の箱を、王国統治の中心としようとしたエルサレムに運び入れようと考えたのも、自然なことだったでしょうし、新しきイスラエルの王として相応しい行為だったと言うことも出来るでしょう。

 けれども、神の箱をエルサレムに運び上げるその途中で、恐ろしい出来事が起こりました。箱を載せた車を引いていた牛がよろめいて、車から箱が落ちそうになったのです。車を御していたのは、アビナダブの子であったウザとアフヨという兄弟だったのですが、その様を見たウザは、箱が落ちるのを防ごうとして、咄嗟に手を伸ばして箱を押さえました。牛を御して箱を運ぶ役割についていた者としては、全く当然の行為に思えるのですが、それは主なる神さまの怒りに触れ、ウザはその場で打たれて、命が奪われたと記されているのです。一体どうして、神さまはなぜそんなことをなさるのか、この話を読む私たちを途方に暮れさせる出来事に思えます。これはどういうことなのでしょうか。

 最初に申し上げておきますが、このことに対して、私たち人間は明確な答えは得られないでしょうし、これから私がお話しすることも、皆さんを完全に納得させることも出来ないと思います。けれども、一つ明らかなことがあります。それは、この出来事、落下を防ぐために神の箱を押さえたウザが打たれて死んだことによって、神の箱に対するおそれの思いがダビデを始め全国民に及んだということです。これと同じ話が、旧約の別な書簡である歴代誌上の13章にも記されています。神の箱に触れたウザが亡くなった話は、国中に広まり、国民におそれの気持ちを起こさせたのです。

 実は、ペリシテ人と戦っていたイスラエルが、当時はシロという町に安置されていたこの神の箱を戦場に担ぎ出して、それによって神の助けを得ようとした話が、サムエル記上の47章に載っています。この時は、イスラエルは戦いに敗れ、ペリシテ人たちに神の箱を奪われてしまいました。勝ち誇ったペリシテ人は、神の箱を自分たちの神であるダゴンの神殿に置きましたが、翌朝になると、ダゴンの神の像がイスラエルの神の箱の前にうつ伏せに倒れていたのです。ペリシテの人々がダゴンを持ち上げて元の場所に像を据えたのですが、その次の朝にはまた、像は箱の前に倒れていました。しかも、ダゴンの頭と両手は切り取られ、胴体だけが残されていたというのです。更に、その神殿のあった町の人々に腫れ物が生じたのです。ペリシテ人は、気味悪くなったのでしょう、恐れの気持ちも起こったのでしょう。箱をイスラエルに返してきたのです。71節には、戻された神の箱は、それ以来キルヤト・エアリムという町に置かれたと書かれています。それ以降は、王となったサウルはこの箱には全く関心を持っていなかったようでしたが、新しく王になったダビデは、この神の箱に目をつけたのです。

 さて、本日の6章に戻りますが、2節の「バアレ・ユダ」は、キルヤト・エアリムの別名であろうと考えられています。ダビデは箱をここからエルサレムに運び上げるのに、精鋭三万を集めたのです。三万は半端ではない数です。この数からも、ダビデの並々ならぬ思いが込められているのが分かろうかと思います。これは、先ほどのサムエル記上4章のペリシテに箱を奪われて、戦いに敗れた時と同じように、ダビデの心の中には、今後の国の統治のためにも、神の箱が必要だろうと思ったからでしょう。今日のウザ打ちは、そんな時に起こった事件でした。

 この箱を担いで戦いに臨めば、神さまが共にいて助けてくれるに違いない、また、これを国を治めるために利用しようとする思い、それは神さまご自身を、自分たちの都合の良いように使うことです。まるで、お守りを懐に入れて、安心を得ようとすること、また、自分たちの気が向いた時にだけ、神社に出向いて家内安全や商売繁盛を祈願するのと同じです。私は決して、神社にお参りにいくこと、またそうした神社神道の全てを否定しようとしているのではありません。ただ、自分たちの都合の良い時だけ、神を利用しようとする人々の驕りを問題にしているだけです。

 今日のダビデのエルサレム遷都のための神の箱を移す行為も、それは神さまに対するおそれを欠いた行為だったと言えるのではないでしょうか。神の箱を、そして神さまを、王国一致のための手段として用いていく、ダビデの中には、単に王として君臨するためでなく、神によって立てられたという信仰はあったでしょうが、それを為していくうえで、神さまを利用しようとする、そういう思いがダビデの中になかったとは言えないと思います。

ウザが打ち殺されたこの出来事は、そのようなダビデに、神の箱に対する、そしてその真の主体であられる神さまに対するおそれの思いを呼び起こしました。911節には、「その日、ダビデは主を恐れ、『どうして主の箱をわたしのもとに迎えることができようか』と言って、ダビデの町、自分のもとに主の箱をうつすことを望まなかった。ダビデは箱をガト人オベド・エドムの家に向かわせた。三か月の間、主の箱はガト人オベド・エドムの家にあった」とあります。先ほど読んでいただいたように、その後最終的には、12節の最後にあるように、ダビデの町、これはエルサレムのことですが、エルサレムに神の箱を移してはいます。しかし、それにあたっては、ダビデは、雄牛をいけにえとして献げ、17節のように天幕の中に運び入れるにあたっても、焼き尽くす献げ物だけでなく和解の献げ物まで献げています。これは、最初の時のダビデとは大きく変わり、主とその箱に対する恐れの思いを持っていることがわかります。ダビデという人は、大きな罪も犯す人でした。決して完璧な人間ではなかった。弱さを抱えた人物です。しかし、彼は、その弱さや欠けを認め、心を変える柔軟さを持った王でした。

さて、そう聞いても、納得がいかない気持ちを持たれる方も多いでしょう。ダビデはそれでいいだろう、でも職務に忠実であろうとして命を奪われたウザはどうなるのか。これは本当に難しいところです。このように話している私にも、完全に納得は出来ないものがあるのは事実です。しかし、示されたことがある。それは、この話がここに、先ほども申し上げたように同じことが歴代誌上13章にもありますが、これが聖書に記されていることの意義は大きいと思います。それは、神さまは、人間の手によって守られるものではないということです。こんなことを言うのはとても酷だし、私だってウザの役割を仰せつかっておれば、同じことをしたのではないかと思います。しかし、この時、神の箱が牛から滑り落ちたところで、どうなるものではない。週報巻頭言にも記していますが、民数記415節には、聖所とそのすべての祭具、神の箱は幕屋の聖所の奥に安置しておくものですから、ここでの祭具にあたるのですが、それに触れることは死を意味したのです。前後しますが、その巻頭言には、出エジプト記25章の神の箱の制作に関しての律法の規定が記されていますが、そこには、箱を担ぐための棒と環のことが書かれています。これも、神の箱に触れることがないようにせよ、との意味であります。神の箱の運搬の働きを命じられたウザはこの規定、律法を知らなければならなかった。いや知っていたと思います。

と、言われても、ウザに同情したくなるところですし、彼にも家族はいたでしょうから、そのことを思うといたたまれない思いになります。しかし、このことは私たちが神さまとの関係を築いていくにあたって、言い換えれば神さまを信じる信仰生活を行なっていく上には、とても大切なことだと思います。それは、私たちは神さまに対しては、それほどの恐れの思いを持たなければならないということです。馴れ合いになってはいけないということです。職務に忠実であろうとしたウザですから、決して神さまとの関係を馴れ合いなものにしたのではないでしょう。でも、神の箱を守るとはどういうことでしょうか。また、神さまを人間が守るとはどういうことなのでしょうか。ウザにはとても酷なことに思えますが、神の箱を、神さまを、人間が守ろうとすること自体が思い上がりであり、別な言い方をすればそれは、神さまを、人間が守らなければならないような存在へと貶める、神に対する冒涜へとつながるのでしょう。

今日の説教タイトルは、変更して「恐れよ」としました。「エッ恐れるな」やないのと思われる方もあるかもしれない。確かに、聖書には「恐れるな」というメッセージで満ちています。しかし、聖書のどこにも「神を恐れるな」とは書かれていません。それらはみな、神以外のものを「恐れるな」ということであります。

私たちは、本当に多くのものを恐れます。恐れからの解放こそが救いと平安を得るカギだとも言えると思います。恐れからの解放の道、それはただ一つだけです。真に恐れるべきお方を恐れることです。本当に恐れるべきお方を恐れるならば、それ以外の一切のものを恐れることはなくなるのです。

マタイ102628節のイエスさまの命令の御言葉です。新約聖書18頁「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」

私たちが恐れるべきは、「魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方です。それ以外の私たちに恐れを感じさせるものは、「体を殺しても、魂を殺すことのできない者」に過ぎません。ウザの死は本当にショックですし、神さまに対してのいたずらな恐ろしさを私たちに与えかねない出来事ではあります。しかし、ウザの時代と私たちとでは決定的に異なることがあります。それは、「魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」とお命じになる方が、私たちの弱さや罪を全部身に受けて死んで下さったことです。私たちもウザのように神さまを自分の手でどうこうしようとする罪を犯してしまうかもしれません。しかし、たとえそうしても、私たちはウザのように命が奪われることはないのです。イエスさまがその罪の身代わりとなって死んで下さったからです。

そのイエスさまの「魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」という命令にたって、神さまとの関係を築いていきたいと思います。お祈りをいたします。

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前夜式・葬儀告別式 説教

21日は前夜式、翌22日に葬儀・告別式を教会で行なった説教です。

2012年5月21日     前夜式  

イザヤ書43章1~4節    平林  稔

 

 

こんばんは、今日はこのようにしてM姉妹の通夜、前夜式にお集まり下さったことを感謝いたします。最初にも申し上げましたように、キリスト教においては多くのことを礼拝という形で行ないます。ですから、そこには、讃美歌があり、祈りがあり、聖書を読んで、それについて牧師がお話をさせていただきます。

 M姉妹は、去る5月20日の深夜に地上での生涯を終えられて、天のみ国へと帰っていかれました。私たち人間は神さまにあって造られ、その神さまの導きと支えによって、この地上で歩んでおります。旧約聖書に「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。」というみ言葉があります。造り主それこそが、全知全能の父なる神さまであります。Mさんも、この教会を初期の時代から支えて来られましたY姉妹に誘われてこちらの教会に小学生の頃に通われていました。正に若い日に、造り主なる神さまと出会われ、歩まれたのです。そして喜びの日にも、悲しみの時にも、神さまと共に歩まれました。それが順境の時であれ、また逆境の時であれ、神さまはMさんの傍らにあって、その歩みを支え、共に歩んで下さったのです。そして今、父なる神さまの懐に帰って行かれたのです。それは神さまによって造られた者にとっては、何ものにも換えがたい恵みであり、幸いであります。

 先ほどお読みした聖書のみ言葉、これはイエス・キリストが弟子たちに向かって語った言葉です。この時、イエス・キリストは死に向かって十字架の道を歩んでおられました。ですから、この言葉はイエス・キリストが自分の死を意識して、弟子たちに伝えたものであります。「私の父の家には住まいがたくさんある」父の家、それは天のみ国であります。そこには住まいがたくさんある。「だから、あなたたちは心騒がさなくてもよい、先に私はあなたたちのところを去っていくが、それはあなたたちのための場所を備えに行くのだ。そしてわたしのいる、父の家にあなたがたを招きいれる、だから心配するに及ばない、心を騒がさないように」と言って下さっているのであります。

 愛する者の死、それは受け入れがたいものです。この地上では二度と会えないのですから、それは家族知人にとっては、大きな悲しみでありますから、受け入れがたい気持ちになることは当然です。いま、ご遺族の皆さんにとって、時は戻したい思いで張り裂けんばかりでいらっしゃることでしょう。残されましたお母さまをはじめ、ご親族の皆さんの時が、再びゆったりと悠久の時を刻み始めることを祈りたいと思います。

 Mさんの生涯は49年で終わりを迎えられました。お誕生日が来月の1日でいらっしゃいました。長寿のこの時代においては、早すぎる終わられ方だと言えます。中学高校をキリスト教主義女子校である清和学園で学ばれ、お友達がグランド通りにあります日本キリスト教団の高知教会にいらっしゃた関係で、その高知教会で少女時代を過ごされました。19801222日、この日は、お母さまとお姉さまがこの伊勢崎教会でバプテスマ(洗礼)を受けられた日と同じですが、お二人が受けられた6年後に高知教会で洗礼を受けられました。Mさんのご生涯は、病と闘われ、その病を身に負われながらの歩みであられましたが、大学も神戸にあります松陰女子学院大学に進まれ、赤十字のボランティアのお働きをされていたともお伺いしております。そのように、Mさんは、ずっと神さまとそしてイエスさまと共に歩まれて来られました。

 キリスト教におきましては、死は全ての終わりではありません。それはイエスさまの御許に招かれる事と捉えております。私どもの教会はプロテスタント教会ですが、カトリック教会では、帰天、天に帰るとおっしゃっています。ですから、死は不吉なものでも忌むべきものでもありません。そしてキリスト教では、試練をも、ただ厭うべきものとも捉えません。それはイエスさまが私たちの苦しみを全部ご存知でいて下さるからです。そしてその苦しみを共に苦しんで下さる、それがイエスさまの十字架であります。

 先ほどご一緒に讃美した讃美歌「いつくしみふかき」、この讃美歌は世界中で、そしてこの日本においても最もよく歌われている讃美歌の一つです。教会の礼拝においては言うまでもなく、キリスト教式の葬儀において、また、結婚式においてもよく歌われます。それは、この歌の中に、私たちの救い主であられるイエス・キリストというお方のことが示されているからです。

 この歌の歌詞を書いたのは、ジョゼフ・スクライヴェン(スクラビンとも音があてられていますが、)そのスクライヴェンという名の19世紀のアイルランド人です。彼の生涯は、この世的には全く恵まれないものでした。大学卒業後に、事業をしますが、結婚式を目前にしてその婚約者が湖の事故で亡くし、事業においても破産します。その後アイルランドからカナダに渡り、教鞭を取りながら、不幸な人や貧しい方たちへの奉仕活動にその生涯を献げました。そんな活動の中で出会った女性と婚約しますが、その彼女も結核を患い、帰らぬ人となるのです。彼は1度ならず2度までも愛する婚約者を失うのです。世をはかなみ、自分の人生と神を恨んでも仕方がないとも思えるのですが、彼はその中で、郷里のアイルランドで病に苦しむ母を慰めるために、この讃美歌を書いたのだと伝えられています。神を呪いたくなるほどの試練と苦悩を味わいつつ、彼は「苦しむ自分を励まし、力づけてくれたキリストを母に伝えたい」そんな思いがこの歌詞の中に込められています。

「いつくしみ深き 友なるイエスは つみとがうれいを とり去りたもう 心の嘆きを 包まず述べて などかは下(おろ)さぬ 負える重荷を 

 いつくしみ深き 友なるイエスは 我らの弱きを知りて 憐れむ

 悩み悲しみに 沈めるときも 祈りにこたえて 慰めたまわん

 いつくしみ深き 友なるイエスは 変わらぬ愛もて 導き給う

 世の友我らを捨て去る時も 祈りに応えて いたわりたまわん」

 この歌は日本の教会においては広く歌われている讃美歌ですから、教会で過ごされたMさんもこの讃美歌はご存知であり、歌われたことでしょう。イエスさまは、弱い者、苦しむ者、悲しむ者、世の友から捨てられたと感じる者の友となって一緒に歩んで下さるお方なのです。

 後の方でお読みした聖書は、旧約聖書のイザヤ書の言葉です。これは聖書における神さまの人間観が強く表われているとても有名な言葉です。最初に申し上げましたように、神さまが人間をお造りになりました。その神さまがおっしゃいます。「恐れるな、わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。」

 Mさんの生涯は、水の中を行かれるような時もおありになったでしょう、また火の中を歩くような試練の時もあられたことでしょう。贖うとは、代価を払って、買い取ることを意味します。どんな苦しい中を行く時であっても、神さまはMさんと共におられ、贖いを成就されて、Mさんを守られたのです。そしておっしゃいます。私の目には、あなたは高価で尊いのだ。私たちの人生がどんなものであれ、どんなに小さな、取るに足らないほどのものであれ、神さまは、そのために代価を払って贖い出して下さった。なんでそんなことをして下さるのか、それは、私たちが優れているからではない、何かが出来るからでもない、神さまの言いつけをよく聞いて守るからでもないのです。人の目から見たら、高価でもなく、尊くもないものに思えるものであっても、神さまの目からみれば、人はすべて高価で尊いと言うのです。そしておっしゃいます。「わたしはあなたを愛している」と。

 お祈りをします。

2012年5月22日  葬儀・告別式 

Ⅰコリント15章50~56節    平林  稔

    

 神さまの御名をほめたたえます。本日はこうしてM姉妹をお送りする葬りとお別れの時を持たせていただけることを心より感謝申し上げます。Mさんは、一昨日に49歳の地上での生涯を終えられ、天に召されました。49歳は余りにも早い終わられ方だと思われます。そしてそれは、私たち以上にご本人にとってもそう思ってらっしゃるだろうと思います。

 昨日も申しましたように、キリスト教にとっては、死は決して忌むべきものではありません。死はこの地上での歩みの終わりですが、それはこの世における私たちの務めから解き放たれることでもあります。この世での私たちの歩み、務めは決して楽しいこと、楽なことばかりではありません。生きるとは苦しむことであり、悩むことであるとも言えるほどです。私たちの国は昨年未曾有の大災害に見舞われました。そこには多くの人の死があり、多くの悲しみと苦悩を体験しました。どんな人間であっても、苦しみや悲しみ、試練と困難に直面させられます。その意味においては、死はそれらのことからの解放の時でもあるのです。

 Mさんのご生涯は、決して平たんなものではありませんでした。若くして患われたその病との戦いであられましたが、今はその病から解き放たれ、全ての悩み苦しみから解放されて、イエスさまの御許で安らわれておられることでしょう。Mさん本当にお疲れさまでした。ご苦労さまでした。どうぞ、イエスさまの御許でお安らぎ下さい。

 Mさんは、196261日に、神さまによって造られ、命が与えられ、この地上での歩みを始められました。昨日の前夜式でもお姉さまもお話し下さいましたが、Mさんは幼い頃から決して社交的な性格の方ではありませんでしたが、学ぶこといろんなことを知ることに熱心な方で、読書にも熱心な方でした。マヤ文明の古代文字のことを知られれば、それを解読するのだと励まれ、また野口英世に憧れて医者になることを願われたこともあられました。小学校の頃に、この教会へと導かれ、イエスさまと出会われました。キリスト教主義の清和学園で中高時代を過ごされ、グランド通りにあります日本キリスト教団の高知教会で洗礼を受けられ、イエスさまを救い主として後の人生を歩んでいかれました。

 先ほど、最初に詩編23編を読ませていただきました。これは、旧約の時代の一人の信仰者が自分自身の生涯を顧みて、主、これは神さまのことですが、その神さまがいつも共に居て下さることを感謝して詠んだものであります。神さまはその御心に従って造られた全ての人間と共に歩んで下さるお方です。それはご自分を信ずる者の近くにだけおられるような方ではないのです。天地万物を造り、人間をお造りになりご支配される神さまは、当の本人がそれを意識しているかどうかにかかわらず、全ての人の傍らに居て導いて下さるお方です。Mさんも神さまを信じ、そのお導きにあって、生涯を歩まれたことだと思います。

 この23編において、旧約の時代の詩人は、「わたしには何も欠けることがない」と言っています。彼の人生は、波風のない平穏なものだったのでしょうか。また、彼は全てのことを兼ね備えた人物だったのでしょうか。そうではありません。「死の陰の谷を行くときも」また「災いを恐れない」と言っていることからも、彼の進んだ道には「死の陰の谷」を通るような時もあったのでしょうし、また「災い」に遭遇することもあったのです。だから、彼の人生は一般的意味においては完全ではなかったのです。ただ、彼はそれらを恐れないと宣言するのです。それは、どうしてか、やせ我慢したのか、またとても忍耐強い人間であったのか。そうではありません。聖書においては、人間を羊にたとえた話が多数出てまいります。最も有名なものは、迷える小羊のたとえ話でしょう。イエスさまは、群れから外れ迷子になった羊を、どこまでも捜して下さるというやつです。この23編の詩人も、主なる神さまは羊飼いだと言っています。羊飼いは羊のために命を献げます。オオカミなどの敵から守るために、羊を守るために命をかけて戦います。その羊飼いがどんな時も私と共にいて下さると宣言しているのです。

 キリスト教はご利益宗教ではないとよく言われます。確かに一般的な意味でのご利益宗教とは一線を画す必要があるように思いますが、キリスト教でも、ご利益はあるのです。ただ、そのご利益は、災いがなくなることでも、死の陰の谷に遭遇しないことでもありません。それどころか、災いは起こるし、死の陰の谷を行くような試練に遭うこともあるのです。では、キリスト教の、聖書の説くご利益とは何でしょうか。それが、この詩人が述べている通り、「あなたがわたしと共にいて下さる」というご利益です。これがあるから、詩人は「わたしには何も欠けることがない」と述べたのです。

 Mさんの生涯の後半は、病との戦いであられました。病に苦しめられた歩みであられたのです。18歳でクリスチャンになられたMさんにも、病は襲ってきたのです。しかし、私たちキリスト者は、主が共にいて下さるという、最高のご利益が与えられているから、いや、それはクリスチャンとなった者の傍らにだけ、神さまがいて下さるのではありません。自分を信じ自分に従う者だけのそばに居られる、守られるような神さまではありません。その違いは、そのことを知っているか感じている、別な言い方をすれば信じるかどうかの違いです。Mさんも、そのイエスさまが羊である自分を守り、共にいて下さることを信じて、生涯をあゆまれたのではないかと思います。

 先ほど読ませていただいもう一つの聖書の言葉は、新約聖書のコリントの信徒への手紙一15章50~56節です。これは世の終わりの時にイエス・キリストが再臨、再びこの地上に来て下さる時のことが述べられている箇所です。4行目に「わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません」とあります。これは一般的意味における死のことでありますが、死は単なる眠り、全ての終わりではないことを指しています。次にあるように「今とは異なる状態に変えられる、最後のラッパが鳴ると共に、死者は復活して朽ちない者とされる」というのです。「そのラッパが鳴ると死者は復活して朽ちない者とされる」ともあります。そしてこれらのことは次の言葉が実現したことだと述べます。11行目

「死は勝利にのみ込まれた。死よお前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか」

聖書は何故、このように死に対して言えるのか、それはイエス・キリストさまが復活されたからです。ご存知のようにイエスさまは十字架で磔にされてその地上での歩みを終えられます。イエスさまに従っていった者にとってはそれは大きな悲しみであり、失望でありました。しかしそのイエスさまがその死から数えて三日目の朝に甦れた、復活されたと聖書は告げるのです。

 全ての人間に死はやってきます。それは誰もが避けることの出来ないものです。どんなに健康に気をつけようとも、この世においてどんなに名声を手にいれようとも、私たち人間は死から逃れることは出来ません。わたしたちは時には、その人生におけるあまりの苦しみのゆえに、辛さのために死を望むこともあります。しかし正常な神経においては、死は恐ろしいものであります。死んだらどうなるのか、この地上からいなくなる、それまでの歩みを続けることが出来なくなるのですから、人間は本能的に死を恐れます。死はすべての人間にとって恐怖の対象なのです。

 その死を乗り越えて下さったのが、イエス・キリストです。十字架から数えて三日目に死を乗り越えて甦って下さったのです。「死は勝利にのみ込まれた」のです。それゆえ、私は死がすべての終わりでないと信じております。「死んでしまえばそれまでよ」ではなく、また「死はいっかんの終わり」でもないのです。これは大きな希望であり、慰めです。Mさんは、その羊飼いなるイエスさまの守りのうちに歩まれたのです。

お祈りをしましょう。

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2012年1月8日宣教

「五千人の給食」 2012年1月8日

ルカ9章10~17節      平林  稔

 

皆さん、お帰りなさい。礼拝では、昨年12月からルカによる福音書を読んでおりますが、本日は9章の、イエスさまが男性だけで五千人はいたと言われる群衆たちに、食べ物を与えられた出来事の箇所です。

10節「使徒たちは帰って来て、自分たちの行なったことをみなイエスに告げた」使徒たちとは、十二弟子のことですが、彼らはどこに行っていたのでしょうか。それは9章の16節に記されています。「イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。そして、神の国を宣べ伝え、病人をいやすために遣わすにあたり、次のように言われた。『旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない。どこかの家に入ったら、そこにとどまって、その家から旅立ちなさい。だれもあなたがたを迎え入れないなら、その町を出ていくとき、彼らへの証しとして足についた埃を払い落としなさい。』十二人は出かけて行き、村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした。」

彼らはイエスさまによって派遣され、村から村を巡り歩き、福音を告げ広め、病の癒しを行なったのです。それは、イエスさまから悪霊に打ち勝ち、病気を癒す力と権能を授かったからですが、それは全知全能の恵み深いイエスさまが彼らを通して、病に苦しむ人々と触れて下さった。神さまのみ業が現れたのです。癒された村人たちは、弟子たちに感謝したに違いありません。

週報の巻頭言にも記しましたが、本日の「五千人の給食」の奇跡物語は、この1節からの宣教と癒しの旅を受けての出来事です。それは、10節の最初の言葉で分かります。彼らの心には、苦しみを負った人のことではなく、自分たちの行なった行為に関心が向いていたようです。人々を助けて感謝されることが続いたのでしょうから「私がしたのだ」と心の中ではつぶやいていたかもしれません。彼らは悩み苦しんでいた人のことを伝えていません。「自分たちの行なったことをみなイエスに告げた」とある通りです。神さまがどれほど人々に深く関わって下さったのかを語ったのでもないのです。イエスさまが待っておられたのは、そのことであったように思えます。自分のしたことの大きさを互いに競い合いながら得意満面に延々と語り続ける弟子たち。イエス様はそんな彼らの話をじっと聞いていたのでしょう。何しろ十二人もいますから、話を聞くだけでも大変です。

全て聞き終わられて、イエスさまはどうされたでしょうか。10節後半「イエスは彼らを連れ、自分たちだけでベトサイダという町に退かれた」自分たちだけで退かれたとは、明らかに群衆から離れるためです。イエスさまは弟子たちを群衆から引き離そうとされたのです。「私がしてやったのだ」と思っている弟子たちが、その思いから解放されるには、群衆と引き離すしかないと、イエスさまは判断されたのでしょう。

しかし、群衆たちに気付かれてしまいます。人々は、イエスさまのことを追いかけていったのです。イエスさまは、群衆と関わることを煩わしいと思われたのではありません。あまりにも多忙な日々が続いたので休みたかったということでもありません。それは追ってきた群衆に対するイエス様の態度からも窺われます。「イエスはこの人々を迎え、神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた」と11節にはあります。「人々を迎え」た。これは「喜んで受け入れた」という意味です。この人たちは、病気や苦しみを背負っていたでしょう。彼らは必死の思いでイエスさまを追いかけて来たのです。そんな彼らのことをイエスさまは喜び迎えられたのです。それは神の国への招きでもあります。イエスさまは「神の国について語」られたのです。神さまが招かれていることのしるしとして、病気を癒されたのです。そして、イエスさまは、弟子のこともお忘れにはなりませんでした。イエスさまは、弟子たちにも本当に必要なものを伝えようと思われたのです。

日が傾きかけてきて、弟子たちは言いました。12節「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。わたしたちはこんな人里離れた所にいるのです」彼らのこの申し出は実に理に適っています。まだ日は傾く前ですが、人里離れた所にいたのですから、村まで辿り着くには時間がかることを考えているのです。もし日が暮れてしまえば、空腹のままで夜を過ごさねばならないのですから。

ところが、この時イエスさまは、弟子たちに驚くべきことを求められました。13節「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」この話と同じと思われるマタイ福音書1421節によると、この時の群衆は男だけで五千人はいたというのですから、これは全く無茶苦茶な話です。弟子たちは答えます。「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません、このすべての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり。」これは至極当然の判断です。

しかし、彼らは大事なことを忘れてしまっています。それは、彼らが宣教の旅に派遣された時のことです。93節「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない。」彼らは何も持たずに出かけたのです。イエスさまが「何も持っていってはならない」と命じられていたのです。彼らは何も持たずに出かけた、しかし彼らは何も困らなかったどころか、多くの苦しんでいる人を助けることが出来たのです。彼らは自分の持っていたもので、人びとを助けたのではなかったのです。ただ恵み深い神さまが、彼らを通して働かれたのです。彼らはそのことをすっかり忘れてしまっています。多くの奇跡の癒しの業を体験することで、まるで自分が行なったかのように思ってしまっていた弟子たちに、イエスさまは本当に必要なことは何であるかを示そうとされました。「パン五つと魚二匹しかありません」と言わざる得ない現実、自分たちの持ち物や力で業を行なうのではないことを、体得させるためにです。

パン五つと魚二匹をかかえて途方に暮れる弟子たちに、主は言われました。「人々を五十人ぐらいずつ組にして座らせなさい。」弟子たちはただ主の言われるままに、人々を座らせました。16‐17節「すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった」

全く不思議なことです。信じ難い出来事です。実際、どのようなことが起こったのか、よく分かりません。しかし、この出来事を通してイエスさまが、弟子たちに、そして私たちに伝えようとしていることは明白です。群衆が満たされ、生かされ、神の国の麗しさを体験したのは、明らかに《弟子たちの持っているものによってではなかった》ということです。イエスさまがなさることによって、イエスさまの憐みによって、群衆は満たされ、生かされます。弟子たちが行なったことは、キリストが祝福なさり裂かれたものを、ただ人々のもとに運んだだけです。

これは弟子たちにとって忘れられない体験であったようです。ですから四つの福音書すべてに、この時の奇跡が記されていることに表れています。イエスを信じ従う者の為すこととは、キリストから受けた物を運ぶ者に過ぎません。キリストから受けた物を人々に手渡すこと、それこそが私たちに求められているのです。

 二匹の魚と五つのパンしか持たない現実に呆然としている弟子たちの姿は、私たち現代の教会の姿だと言うことが出来るでしょう。自分の持ち物の貧しさ、信仰の弱さ小ささに立ち尽くすのが私たちの現実です。こんなに世界は苦しんでいるのに、その中にあって、自分は何も出来ない、何も持ち合わせていない。

 しかし、それで良いのです。自分の持っている物で人を救える、自分の力で人を生かすことが出来ると思うよりは、はるかに良いのです。旅から帰って来た弟子たちは、正にそんな思い上がった状態にいたのです。しかし、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と命じられて、パン五つと魚二匹しか持っていない貧しさと無力さに呆然とする時に、本当に何が大切かが見えたのです。私たち教会は、キリストから受け取った物を運ぶだけでよいのです。それこそが教会の務めなのです。

 最後に、もう一つの事柄にだけ触れてメッセージを閉じたいと思います。それは、この時弟子たちは、持っている僅かの物、パン五つと魚二匹、それを全て献げていることです。イエスさまは、私たちの献げる、差し出す物を用いて業をなさるお方です。こんなちっぽけな物と決めつけているのは私たちの傲慢なのかもしれません。その僅かの物であっても、それをイエスさまに献げることで、大きなみ業が行なわれる。ただ「イエスさまお用い下さい」と献げることで、イエスさまのみ業は始まるのです。お祈りします。

 

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5月15日 主日礼拝 メッセージ  

「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」  2011年5月15日
マルコ15章33~37節    平林 稔

 皆さん、お帰りなさい。お気づきのように、聖書箇所、説教タイトルを予告していたものから変更いたしました。先週の礼拝でもお知らせしましたように、会長の代理で、浦和の連盟事務所で行われた地方連合連絡協議会に出席いたしました。

 週報の巻頭言にも少し記しておりますが、日本バプテスト連盟は、教団ではありません。これもいつもお話していることですが、協力伝道体です。それぞれの各個教会は、協力伝道の働きを進めるために、バプテスト連盟に連なっているのです。言葉の問題ですが、これも連盟に所属しているのではありません。所属というのであれば、各個教会と連盟との関係には上下関係が生まれてしまいます。

連盟の主体はあくまでも各個教会にあります。だから連盟などというものの実体はないのであり、連盟事務所は存在しますが、私たちの教会それぞれが日本バプテスト連盟なのだというようにも説明できます。

 ですから、各個教会の上に地方連合があり、その地方連合の上に連盟があるのではありません。連盟と連合は、各個教会の働きを支えるために存在するのです。それぞれの個別教会が行なえる働きには限界がありますが、その一つひとつの個別の教会が集まり協力することで、神さまの働きをより進めることが出来る、これがこそが、協力伝道です。

今回の協議会で審議されたことの全てをここでご紹介することは出来ませんが、このように地方教会の代表者と宣教部長や常務理事とが懇談する場が持たれていることを、実体験させていただき私自身にとってはとても貴重で有意義な時を持たせていただけました。送り出して下さったこと、そしてお祈り下さったことを感謝いたします。

 さて、今日は、予定しておりました創世記のみ言葉の取次ぎを変更いたしましたのは、この連絡協議会の初日に行われた東日本大震災の報告会に出席したことによります。

 現在加藤常務理事を本部長とする災害対策本部と各地方連合毎に対策のための窓口や委員会が設けられております。今回の報告会には、被災地にある教会を代表して、宮城県仙台市の南光台教会の井形英絵牧師と仙台北教会の金丸真牧師、そして黒川郡の大富教会の伊東新吉さん、そして福島県郡山市の郡山コスモス通り教会の鈴木牧人牧師から報告がなされました。

 それぞれの報告は全て心震わされるものがありました。仙台北の金丸牧師は、昨年秋に福岡市内の教会から仙台北教会へと移ることが決まられており、4月の着任直前に今回の震災の報を受けられました。また、今回は所要のため来られませんでしたが、大富教会の斉藤牧師はこの3月に西南神学部を卒業されて最初の赴任地が大富教会でした。

 中でも、郡山コスモス通り教会の鈴木牧師の報告は、他の3人の方の報告とはかなり違うものでした。それは、他の地域は震災後の復旧の状態にあるのに対して、郡山を始め福島県の教会は今も震災中というか、放射能の恐怖の中にいらっしゃるからです。福島県の海岸沿いは、津波被害も激しいモノがあるのですが、原発のことを考えると今まだまさに震災の真っ最中であります。放射能汚染は目に見えない敵との戦いのようなものです。福島県民である自分たちも、牛乳好きの自分の子どもに福島県産の牛乳を飲ませるのに躊躇してしまうとおっしゃっていました。福島県内の地震と津波被害も甚大なモノであり復旧は相当大変な道のりですが、今回の震災がそれだけだったら、復旧のために全力を注げたのに、原発事件のために、復旧だけに迎えない事態となっていることを思わざるをえません。放射能の恐怖との闘いを思うと、全く違う展開になっていたでしょうから。

 4人の方の報告はそれぞれに心に残るモノであったのですが、今日は南光台教会の井形牧師の報告を通して、イエスさまの十字架を思わされたことを語らせていただきます。

 南光台教会は内陸部に位置するため、今回は津波による被害を受けることはありませんでした。幸いなことに、3年前に新築したところだったことで、地震による揺れは大きかったそうですが、建物自体が被害を受けることはほとんどなかったそうです。しかしこの教会のある地域の被害は大きく、倒壊した民家は多数あったそうです。停電終了は4日後、インターネットがつながるようになったのは7日目、ガスの復旧は4月下旬までかかったそうです。そんな状況の中で、教会が臨時の避難所になっていきました。

 きっかけは、教会の前で震えている人を井形牧師が見かけられたことでした。トイレをお貸しするために、会堂へ招きいれたことがスタートだったそうです。最も多かった時には、22名の方と共に寝泊りされました。最大の必要は水だったそうです。水道が復旧したのは、10日目でした。幸い連盟の北関東連合が震災の翌日から動かれたことで、すぐに米と水が届けられたことで、避難された方たちにおにぎりを提供することが出来た。それでも水はたくさん必要でしたから、何時間も給水車のところで並ばなければならなかったとおっしゃいました。

 そんな中、震災後三日目の礼拝の準備は大変でした。ご自身は牧師になられて14年目の方なのですが、初めてローソクの灯りの元で原稿を書かれたそうです。その時に語るべき言葉は、祈り求めざるをえなかった、それは高知にいる私も同様でした。

 仙台地区は、改革派の教会が中心になって仙台キリスト教会連合という超教派の団体が建て上げられとても良い働きをされています。それぞれの教派の個別的な働きはとても重要なのですが、それだけではキリスト教会としての町の復興のための力という次元では限界があります。日頃からの地域の他教派の教会とのネットワークの必要性を痛感させられました。

 仙台市とその近郊には、連盟のバプテスト教会は仙台市内に3つ、それ以外に2箇所教会がありますが、先ほども申しましたように、4月に二人の牧師が着任されましたが、震災当時は5教会の内3教会が無牧師でした。そのうちこれまで中心的な存在であった仙台教会は今も無牧師です。(余談ですが、連盟では20年ほど前から、牧師のいない状態を「無牧」とは言わないようにしています。牧師がいなくてもいわゆる牧会の働きはなせるからです。)無牧師でなかった二つの教会の一つが井形牧師の南光台教会で、彼女は私の神学校の1年後輩なのですが、シングルの方です。残りの一つの教会が吉岡伝道所で、そこには80歳を超えられた引退牧師の野口先生がおられます。女性と引退牧師の先生の教会というのも、ある意味一つの方向性を示しているようにも思えます。

 東北の隣ということで北関東連合と北海道連合の対応は迅速でしたが、それ以外の地域にある教会で反応が早かったのは、ホームレス支援の活動をされている教会だったそうです。日頃より、人が生きていくためには、何が必要かという問題と取り組んでおられるからでしょう。

 井形牧師は、おっしゃいます。ここまで本当に生きるか死ぬかの対応だったと。キリスト教会に限らないのですが、宗教者が担うべき働きは多くある。住居、食糧、それらも被災者にとっては急務な事柄ではあるのですが、それらは行政や他の団体によっても行なわれる。人が生きていくには、それらの食糧や寝泊りする場所や生活用品は必需のものではあります。しかし、東八幡教会の奥田牧師も述べておられるように、人間、特に現代の日本社会においては、関係性の困窮、人と人神と人との絆がないと人は生きてはいけないからです。

 ある他地域の牧師から、「井形先生、十字架のイエスさまはあなたたちと共におられますよ」と言われたことがあられたそうです。そのお言葉に感謝しつつ、同時に自分の心のなかでは「そんなもんじゃない」という思いがよぎったとお話くださいました。

 確かに、十字架の復活のイエスさまは私たちと共に居て下さる。しかし、ここまでの自分の歩みを振り返ると、十字架のイエスさまにしがみついていないと、振り落とされる、そのような思いが正直なところだった。それほど、しんどかった、そして、そのような自分の気持ちとの戦いだったと話して下さったのは印象深かったです。

 どうしてこのような目に自分たちはあったのか、なぜこんなことになったのか、否が応でもそのことは心に浮かぶ、神さまどうしてですか、問わざるをえない日々であった。しかし、それは考えても分からないこと。そして、十字架のイエスさまにしがみつこうとした時、十字架のイエスさまに助けを求める中で、このマルコ15章の「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という、十字架で発して下さった主イエスの言葉を深く受け止めることが出来たそうです。

 あのイエスさまでも、「どうしてですか」と叫ばざるを得なかった、訳の分からない、意味が見出せない試練や苦しみの中を主は通って下さったのだ、だから自分はそのイエスさまにしがみついていこう、そこを通って下さったイエスさまなら、しがみついていって良いのだと。

 その井形牧師の報告を聞いた私の心に示されたみ言葉を2箇所お読みして説教を終りたいと思います。

 ヘブライ人への手紙4章14~16節
「さて、わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」
 フィリピの信徒への手紙2章6~11節
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです。」

 お祈りしましょう。

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イースターメッセージ

「逆転満塁ホームラン」  2011年4月24日

マタイ28章1~10節    平林 稔

 

 イースターおめでとうございます。一昨日の金曜日は受難日、イエスさまが十字架にかかられて死なれた日でした。その後、イエスさまは黄泉に下られたとされています。黄泉、それは地下にある死者が行くとされる場所です。イエスさまは十字架の死の後、黄泉に下り、三日目に死人のうちより甦られた。聖書に記されている四つの福音書には、そのことは記されてはいません。しかしそのことを示唆するみ言葉は私たちの聖書にも書かれています。見てみましょう。ペトロの手紙一の3章18~20節です。新約聖書432ページです。

「キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者です。」

 この「捕らわれていた霊たちのところ」これが黄泉だと考えられています。4章6節には「死んだ者にも福音が告げ知らされた」とありますが、これは、イエスさまが黄泉に下られて、捕らわれていた霊たちのところに行かれて、福音を告げたのだと信じられているのです。

 昨日の土曜日がその黄泉に下られた時でしたが、昨日の天候は正にそのように午前中までは、ぐずついた天候でした。しかし、イエスさまは、先ほどお読みいただいたように、週の初めの日の明け方には甦られて、マグダラのマリアともう一人のマリアに復活のお姿を現されました。それは起死回生の逆転の一打のようなものでした。この二人のマリア、彼女たちは、生前のイエスさまに仕え従って行った女性たちでした。また弟子たちも、全てを捨ててイエスさまに従って行った者たちでした。彼らはイエスさまにその生涯を賭けたのです。

しかし、そのイエスさまは、犯罪人として捕らえられ、十字架で惨めに、それもあっけないほどに無力なお姿のまま死んでしまわれました。弟子や女たちの悲しみは、とても大きなものがありました。絶望さえ感じたことだと思われます。生前には大いなる御業、目の見えない者を見えるようにし、何十年も病に苦しんだ人を一瞬のうちに癒し、また荒れ狂う波や風を鎮め、海の上を歩き、2匹の魚と五つのパンで5000人、いやそれ以上の人たちに腹いっぱい食べさせるような奇跡さえ起こされたイエスさま。しかし十字架の上では、そのような奇跡は何も起こされず、無力な敗北者として、惨めに死んでいかれた。弟子たちにしてみれば、絶望の底に落とされるような経験であったと思います。しかし、そんなイエスさまは、死を乗り越えて、ご復活なさったのです。それはリードされていた9回裏に逆転満塁ホームランを打ったようなものでした。

 復活されたイエスさまと、そのイエスさまとの出会いを経験したペトロを始めとする弟子たちのその後の行動については、新約聖書の使徒言行録に記されています。そこに記された弟子の姿は、十字架のイエスさまに従えず、人々を恐れて、家の中に隠れていた弟子の姿ではありません。彼らは、死をも乗り越えて、復活のイエスさまがどんな時も共に居て下さることを体験したのです。それは、イエスさまが起死回生の逆転満塁ホームランを打って下さったからです。

 福島第一原子力発電所は、福島県双葉郡大熊町と双葉町にまたがって存在しますが、この大熊町と双葉町に、キリスト教会が一つだけあります。それが大熊町大野にある福島第一聖書バプテスト教会です。バプテスト教会ではありますが、私たちの教会の日本バプテスト連盟ではありません。保守バプテスト同盟というグループの教会です。大熊町に“ある”と言いましたが、原発とは約4キロのほどの所に位置する教会で、放射能に汚染された元の場所に戻れるのがいつになるのか分からない、5年先10年先でも無理でしょう。だから、大熊町に“在った”教会と言った方が相応しいのかもしれません。教会は現在閉鎖されており、近くに住んでおられた教会の方たちは、避難生活を余儀なくされておられます。その教会の牧師でいらっしゃる佐藤彰先生は、地震が起こった時は千葉にある神学校の卒業式に出席されていましたが、5日後の16日に、約50人の教会員を集団で受け入れていた会津若松市の教会で教会の方たちと再会されました。その後、佐藤先生を含めた教会員の一行は、山形県の米沢に移られ、先月末から現在に至るまで、東京都西多摩郡にあるキャンプ場で生活されています。

 この教会の受けられた苦しみと試練の過酷さを思うと、祈らざるを得ない思いになります。教会のホームページの冒頭には、

「私たちの教会は被災しましたが、たくさんの恵みを受けました。皆様のお祈りとご支援に感謝いたします。ご存知のように、私たちの教会は3月11日の震災に遭いました。3月6日の礼拝を最後に教会は閉鎖となり教会員は住む場所を失い各地の避難所や親のところを転々としています。どうか引き続き熱いお祈りをお願いします。」

と書かれています。そしてそのホームページには、佐藤彰牧師が「避難生活報告」が載せられているのですが、本日の週報の巻頭言の文章も、その「避難生活報告」です。その報告を読んでいた妻が声をあげたのです。何と佐藤先生の誕生日は、311日だというのです。原発の町にただ一つ在った教会の牧師の誕生日が、震災の当日というのは、偶然にしては出来すぎで、これはもう神の御手にある業としか思えません。

 世間的な尺度で見るならば、この教会と佐藤牧師の“不幸、不運”はとてつもなく大きいもので、神にも見捨てられた存在ということになるのではないかと思います。直接被災もしておらず、これまでと大して変わってない、以前と同じ日常の生活を続けている者が、訳知り顔に評論化然として、簡単に口にすべきことではないだろうとは思います。被災された方たちに向かって「神の裁き」と断じるのと同じで、単純に述べることでもないのかもしれません。しかし、一連のこの出来事を見るにつけ、このことをイエス・キリストの十字架の光に照らして見るならば、これが神の選びなのかと思わされるのです。

 神さまの選び、それは過酷です。「神さまどうしてですか」と叫ばざるを得ない現実は多くあります。しかし、「父よ、出来ることならこの杯を取り除いてください」と十字架の前夜に祈り、そして覚悟の上だったとは言え、あの十字架の上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と弱音ともとられる思いを叫ばれたお方を、救い主とあがめ、信じる私たちキリスト者の歩みは、世間一般に考えられるご利益宗教とは一線が画されるゆえんなのです。佐藤牧師の報告の48日の分です。

4月3日の奥多摩での最初の日曜礼拝には、7,80名が集ったでしょうか。東京ということもあって、近郊に避難している教会員も家族とともにかけつけました。すでに書いたことですが、今回の震災でつくづく教会はすごいと思いました。建物が閉鎖し、信徒が散らされ、組織も規約も年間プログラムも役員会も無くなる中で、それでも教会は生き延びました。キリストの教会は、押されても、散らされても、決して消滅することがないことを知らされたのです。正直なところ私は、地震と津波に追い討ちをかけるように原発事故が起こった当初、宣教の歴史もここで幕を閉じるのだと思いました。町が放射能に汚染され人々が消えたのでは、地域とともに立つ教会も存在しないと考えたのです。70年にわたるあの地域での宣教の歴史に、こんな形でピリオドを打つようになろうとは、思ってもいませんでした。やりきれない思いを胸に、これも現実と受け止め、あとは信徒の就職の世話と、それぞれの転居先にある教会に受け入れを依頼し、働き人を他の教会に紹介して、この地における私の働きも幕をおろすのだと。しかしその後の展開は、私の想像をはるかに超えるものでした。教会はぎりぎりの状態でいのちをつなぎ、生き延びたのです。初代教会が迫害で散らされる中、生き生きと姿かたちをあらわしていった記録は、新約聖書で知っています。けれどもまさか現代のこの日本で、東北の田舎にある普通の教会の信徒たちが、行く当ても無く突然放り出されて、方々に散らされ、けれども何とか体制を持ち直し、互いに結び合い、キリストの体を再び形づくるようになろうとは、予想もしない展開でした。加えて大げさに言えば、教派を越えて私たちを応援してくださる日本各地や世界の教会が現れたのです。あまりのドラマ仕立てに、これはいったいだれの脚本ですかと、いぶかしがるほどです。」

 私たちは、この世界をお造りになり、今も人間の力を超えて世界を統べ治められるお方を神と呼んでいます。今回の地震も神さまとは全く無関係のことだとは思っていません。その神さまのご支配を信じます。そしてその神さまによって呼び集められた群れがキリスト教会です。この福島第一聖書バプテスト教会に限らず、東北の多くの教会が被災し、中には津波で流された教会、また地震の揺れによって瓦礫となってしまった教会が多くあります。しかし、その瓦礫を前にして、キリストを信じる教会の方たちが集まられ、群れとなって祈りを献げ、また日曜日には神さまを、イエスさまの名を呼んで礼拝が行なわれているのです。

 被災された方たちの苦しみは大きいでしょう。それは経験していない者には分からない甚大な試練でしょうし、繰り返しになりますが、そのことに対して、簡単に祝福とか神の導きだとは言えるものではないと思います。しかし、そんな試練と苦しみの中でも、教会はなくならず、いやイエスさまの名の下にキリスト者は集まり、教会の群れは存続したのです。初代教会のことは少し先ほど触れましたが、その後、ローマ帝国の支配の下で、キリストの名による教会は大迫害を経験しました。何十万、いや何百万というクリスチャンが殺されていきました。しかし、教会はそれでもなくならなかったのです。それは、死を乗り越えて甦られたイエスさまが自分たちと一緒に、試練と苦しみの中で共におられることを信じた、いや確信したからです。これこそが、イエスさまの逆転満塁ホームランです。

お祈りします。

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『愛が冷えないように』

「愛が冷えないように」 マタイ24章3~14節   平林  稔

 2011年3月13日 高知伊勢崎教会主日礼拝宣教(要旨)

最初に、東北地方太平洋沖地震を覚えて祈りたいと思います。
祈り

今日は、先週の週報で予告していました内容を変更して、震災を覚えて礼拝を献げたいと思います。
先週の水曜日から受難節、レントに入りました。そのことについては週報の巻頭言に記していますので、まだお読みでない方は後でお読み下さい。イエスさまが受けられた苦しみを心に刻み、悔い改めの時を過ごしていきたいと思います。

そんな中での今回の地震と大津波、そして原発事故、そこで示されたのが、先ほどお読みいただいたマタイによる福音書24章でした。暗い気持ちに陥っている時に、更にこんな箇所と思われる方もあるかもしれません。ここに記されているのは、イエスさまが世の終わりについて尋ねられたことに答えられたみ言葉です。これは決して不安に駆られている方たちに対して、終末観を煽ろうとしているのではありません。それどころかまったく逆です。

ここでは世の終わりの徴として、偽のメシアが登場し人々を惑わし、戦争の騒ぎや噂を耳にし、方々で飢饉や地震が起こることが記されている。しかしイエスさまは、それらはすべて産みの苦しみの始まりだとおっしゃっている。そして、そういうことは起こるに決まっている、ともおっしゃっているのです。

私たちは、こんな状態の中で何が出来るというのか、また、どうしてこんなことが起こるのか、神さまどうしてですか、そのような思いに捉われることだと思います。しかしそんな私たちに向かって、イエスさまは、「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」と言って下さっていることに心を向けたいと思います。以前にも紹介しましたが、宗教改革者のマルティン・ルターは「たとえ明日、世の終わりが来ようとも、私は今日、リンゴの木を植えよう」と言いました。こんな時だからこそ、また世の終わりの中で恐怖と不信の思いに心がかき乱される時だからこそ、私たちは平穏な心で過ごすことが求められているのです。

また、イエスさまは、終末の時においては、不法がはびこることで、「多くの人の愛が冷える」とおっしゃっています。不法と世の終わりの徴によって、人の心がすさむときだからこそ、私たちは愛を冷やしてはならないのです。こんな時に…ではなく、こんな時だからこそ、私たちはイエスさまの十字架の愛を思い起こし、そのイエスさまの愛が変わることなく私たちに向けられていることを心に刻み、愛が冷えないように励むことが求められているのです。

マスコミ等では、諸外国からの救助隊が日本に到着していることが報道されています。韓国からの救助隊が、最初に到着したというふうに伝えられています。それが間違いとは言いませんが、それよりも早く救助隊を送った国があります。そしてそれは、私たちバプテストの関係団体です。どこか、それはハンガリーです。

韓国の救助隊は12日の午後でしたが、BWAid(世界バプテスト救援委員会)の緊急救援隊のレスキュー隊の先遣隊が12日の11時過ぎに成田に到着しています。ハンガリーという国については私も、東欧圏の国という以外には詳細には知りません。しかし決して豊かな国ではありません。でもハンガリーバプテストの救援隊は、いつも一番に災害地に出向くのです。今回も、地震が起こったのが11日の午後2時過ぎですから、翌日の昼前に到着するためには、どうなのでしょうか。連絡を受けてすぐに出国していなければなりません。ですから、常に世界の災害地に向けて旅立てるように備えているということです。これは、ハンガリーの教会に支援の体制が整えられているのです。

私たちも、そうありたいと思います。愛を冷やしてはならないのです。不法がはびこり、人の心が荒廃する時だからこそ、イエスさまの愛に倣って、愛を冷やさぬようにしていく必要があるのです。落ち着いた心で、祈っていきましょう。そして、私たちが今何が出来るのかを共に求めていきましょう。お祈りをします。

お読みいただいてありがとうございます。
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ルターの言葉

とても弱気な記事ばかり載せてしまいました。自分自身の信仰の弱さと限界を示された気分です。
記事を読んで励ましのコメント、またメール等いただきました。ありがとうございます。

マルティン・ルターは
「たとえ明日、世の終わりが来ようとも、今日、私はリンゴの木を植えよう」
と言ったそうです。

今この状況の中でこそ、落ち着いて、目を覚まして、主の十字架を見上げることが、主から信仰者に求められていることでしょう。祈りつつ歩んでいきたいと思います。

しるべ先生、『とおきくにや』の解説ありがとうございました。

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8月15日 主日礼拝メッセージ

「塩と平和」 2010年8月15日 
マルコ9章49~50節     平林  稔

 皆さん、お帰りなさい。本日は、わが国にとって65回目の終戦、敗戦記念日です。また、今年は日米安保条約50周年の年でもあります。昨年来の沖縄普天間飛行場の移転の問題などから、平和を維持するために必要なものが何であるか、私たち一人ひとりにとっての問題として考えていかねばなりません。イエスさまは、あの山上の説教において「平和を実現する人々は幸いである」とおっしゃいました。このみ言葉に生きる者として、平和についてご一緒に考えていければと思っています。
 長野県の上田市の郊外に、一つの美術館があります。長野県には多くの美術館があります。それらの美術館の中で、この上田市の美術館はとても小さなもので、他の美術館のように有名な作家の作品は一つもありません。しかもとても不便なところにある美術館です。しかしここには、連日多くの人たちが訪れます。その美術館の名前は、「無言館」と言います。戦没学生慰霊(霊を慰める)美術館で、戦争中に美術を学んでいた学生たちの作品が展示されています。
 彼らは、在学中や卒業してすぐに、召集され戦死した人たちです。私は未だ訪れていませんが、訪問者はその迫力に圧倒されると言います。鑑賞者が何も言わずに帰っていく、という意味と、展示品自体が何も言葉を語らずとも、たくさんのメッセージを雄弁に語ってくれる、そのような意味で、無言館と名づけたと館長は語っています。
 自画像が多いそうですが、中には家族団らんの画や故郷の山や町の風景画もある。それらの画を出征する前の日まで描いていたそうです。そこに故郷や家族への思いを表しているのです。是非、一度訪れたいものです。
 イエスさまは「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」とおっしゃいました。平和は大切だとは誰でも言うことが出来ます。ですが、イエスさまは平和そのものとなって歩まれました。コロサイ信徒への手紙1章19~20節に「神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。」とあります。十字架の死を通して平和を表して下さいました。「敵を愛し迫害する者のために祈れ」教えられ、それを十字架上で実践されました。イエスさまは、自らが死ぬことによって憎しみの連鎖を断ち切られたのです。
 パウロは手紙の中で、キリストの平和こそが私たちが平和を実現する具体的な生き方であることを勧めています。ただ単に平和でないと困るという程度のことではなく、ただ漠然と平和を望むことでもなく、まさしく平和そのものとなって生きることこそが、平和を作り出すことになると言っています。
 本日の聖書の箇所には、塩について書かれています。「自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい」塩と平和がどのように関係するというのでしょうか。塩は、そのままでは辛いものですし、塩分の摂りすぎは健康に良くないこともありますが、塩は生命維持にはかかすことが出来ないものでもあります。
 イエスさまの「あなたがたは地の塩である」という有名な言葉があります。塩はただ塩辛くするためだけに使われるのではありません。塩には、殺菌作用や保存作用、そこから宗教的な清めの役割があります。最近ではあまり用いられなくなりましたが、仏式の葬儀では清めの塩が配られたりもします。最近はやらなくなっているようですが。
 今日の箇所でイエスさまは「自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。」と命じておられます。口語訳聖書ではここは「あなた方自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに和らぎなさい」とされていました。塩の働きからすると、「和らぎなさい」の方が分かりやすいようにも思います。塩には、和らがせる働きがあるからです。
 ぜんざいを作る時やまた、スイカを食べる時に、塩を加える。そうすると、甘さが引き立って、より甘くなる。塩味が出るよりも、むしろ他の味に溶け込んで、他の味を引き立たせる働きが塩にはあるのです。
 塩は決して主役ではありません。周囲のものを引き立てる働き、奉仕すると言ってもよいのかもしれません。コロサイ書4章6節には「いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい」ともあります。「塩で味付けされた言葉、それは単に厳しい言葉ではありません。そうでなく、それは「快い言葉」だと、パウロは述べます。これも口語訳では「いつも塩で味付けられた、やさしい言葉を使いなさい」でした。辛らつな言葉でなく、やさしい言葉。快い言葉、やさしい言葉、それこそが、他者との和らぎを生じさせる言葉であるはずです。
 塩の役割、それは他者と和らぐこと、互いに平和に過ごすことにほかなりません。先ほども述べたイエスさまの「あなたがたは地の塩である」は、目立たないけれども無くてはならぬ者という意味に加え、他と和らぐもの、平和のために働くものであるようにとの祈りがあったのではないでしょうか。
 今日のマルコでは「塩に塩気がなくなれば」と書かれています。塩が塩気をなくすことがあるのでしょうか。今回読んだ書物の中には、パレスチナ地方で取れる塩は岩塩で、地質の関係で塩気を失うことがあると説明されていました。せっかくイエスさまから「地の塩だ」と呼ばれていても、互いに平和に過ごすことを忘れ、和らぐ働きをしないならば、塩気無くなったも同然だと、イエスさまは警告なさっているのです。
 さて、今日のところからもう一つのことを見てまいりましょう。それは今日の最初の「人は皆、火で塩味を付けられる」とあることです。これはどういう意味なのでしょうか。料理をするのに、煮たり、焼いたりして火を用いて調理するのに塩味をつけることでしょうか。また、塩を精製する時に、天日に干したり、大きな釜で何時間も煮詰めることもしますから、そういうことを指しているのか。そういうこともあるのでしょうが、聖書において火は、具体的な迫害や艱難の意味がありますから、マルコはここで、極めて具体的に襲いかかってくる迫害や艱難の中で、あなたがたの信仰が精製されると述べているようです。イエスさまは十字架の道を歩まれる中で、私たちへの愛を表して下さいました。そして私たちは、私たちの国が、65年前の敗戦という大きな艱難によって平和の尊さを教えられたことを忘れてはなりません。
 私たちは、あの敗戦と言う試練を通して、平和の大切さを骨の髄まで教えられました。戦争に勝っているときには、一人ひとりの悲しみや痛みはかき消されていました。兵役を拒否するものは非国民とされ、戦争は嫌だ、出征拒否などは許されない時代でした。ただ、黙ってその思いを絵筆に託すしかない時代だったのです。そして、私たちは沖縄戦、広島長崎の原爆、それだけでなく日本各地の空襲などを通して敗戦に至り、初めて本当に大切なことが何であるかを気づかされました。私たち日本の国は、あの火の試練である経験を通して、塩を自分たちの内側に持つことが出来たのです。
 でもどうも、戦後65年が経って、その塩気を失いつつあるように感じます。いったい、何によって塩に味付けるのか、塩味を取り戻そうとするのか。抑止力によっては、塩味は保つことは出来ないではないでしょうか。
 イエスさまは、私たちの罪の身代わりとなって、贖いとして、十字架について死んで下さいました。私たちの内側には愛はありません。また、塩味はすぐに失われてしまいます。イエスさまの十字架と言う悲劇、人間の最も恐ろしい苦しみを主が担って下さることによって、私たちは愛を知ったのです。これこそ、イエスさまご自身が地の塩となり、他者と和らぎ平和に過ごすために行なってくださったことです。私たちは、そのイエスさまの十字架を無にしてはなりません。イエスさまが命を献げてまで、保って下さった塩味を内側に保ちつづけなければなりません。お祈りをしましょう。

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