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2013年6月

恐れと自己防衛

「いい加減目覚めなさい」「イメージできる?」のセリフが流行した天海祐希主演の『女王の教室』を観た。相当へヴィーな内容のドラマではあったが、愛と希望に燃えた一人の女教師が悪魔のような教師に変貌していくさまや、女王様キャラがピッタリの主演の天海祐希の熱演もあって、8年前の放映時にはかなり話題になったのを記憶している。でも、現実離れしている点もあり、この教師を通して実践される教育論には問題点もあるから、内容を能天気に賞賛する気持ちはない。

ただ、このドラマの子どもたちの姿には、共感というか、元々抱いていた思いを確信させてくれるだけのものがあった。子どもに限らず人を縛り付け、人と人を分断するのは、やはり恐れだということだ。

人は自分に攻撃が向けられるのではないかと恐れると、その攻撃から自分を守るため自己防衛を図る。みんなわが身が可愛いから、そのためには嘘もつくし、友達を裏切ることさえする。攻撃は最大の防御というのは、スポーツの世界ではよく言われることだが、人と人との関係においての自己防衛は、周囲の者に疑心暗鬼な思いや恐怖心を植え付けることになり、当の相手には十分な攻撃となってしまうことが多い。

 恐れは決して私たちを守ってはくれない。当面の攻撃をかわすことにはなるかもしれないが、攻撃は様々な形で迫ってくることから、常に防衛の手段を講じ続けることが求められる。また、次にいつ新たな攻撃の対象になるかとの恐れに脅え続けねばならず、自分自身の恐怖という攻撃からはずっとさらされ続けことになる。恐れは更なる恐れを生み出し、その負のスパイラルは永遠に続くことになりかねない。

 その悪循環から私たちを救ってくれるもの、そこから解放し守ってくれるのは、相手への愛と信頼しかない。そのことを身をもって示してくれたのこそが、イエスの十字架なのである。

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ふぞろいの林檎たち

 山田太一のドラマを続けてビデオで鑑賞。小説家としても、『異人たちとの夏』で山本周五郎賞を受賞し、演劇脚本作も多いが、使命感を持ってテレビでドラマ制作をして来たことを感じさせてくれる日本の代表的脚本家だろう。向田邦子・倉本聰と“シナリオライター御三家”と評されたりもした。表題は、彼の作風を象徴する代表的ドラマのタイトル。他には、出世作となった『岸辺のアルバム』、『男たちの旅路』『想い出づくり』、大河ドラマ『獅子の時代』等がある。

 山田の作品は、器用には生きられない“普通”の人々の不器用な生き方を温かく見つめることで、人間存在を掘り下げたドラマが多い。登場人物が“普通”の人々なだけに、起伏は少なく、淡々とストーリーが展開するのが特徴。

 今回鑑賞したのは、連続ドラマとしてはおよそ12年ぶりの2009年度作『ありふれた奇跡』と、20075月に放送された単発ドラマの『星ひとつの夜』。『ありふれた奇跡』は、駅のホームで不審な男を見かけたことで偶然出会ったそれまでは見ず知らずだった二人の男女を主軸に、その不審な男とそれぞれの家族の葛藤する姿を描いたもの。主人公の二人には、互いに人に言えない心の傷があったが、そのことも通して、二人の距離は縮まっていく…。殺伐とした都会で孤独に生きる人間が、不器用ながらに交流し、心を開くことで希望を見出していく姿は観る者の心を打つ。主演の二人は、加瀬亮と仲間由紀恵、共演に陣内孝則。

『星ひとつの夜』は、コンサートホールの清掃員が、50万円程の現金入りの忘れ物のコートを見つけ、持ち主の青年に届けたことで物語は始まる。清掃員には殺人で11年間刑務所に服役した過去があり、青年の方は、パソコンを使った株取引で90億もの資金を動かすデイトレーダーだった…。家族や友人との関わりが稀薄になった現代人にとって、人と関わることとは何か、他人を理解し受け入れることの困難さを考えさせられる。出演は、清掃員に渡辺謙、青年役は玉木宏。

無縁社会と言われる現代日本で、要領悪さを呈し、時には無様にも見えながら懸命に生きる人間を通して、一筋の光明と希望を与えてくれるいずれも秀逸な作品だった。自分も含め、聖書の人物もみんな“ふぞろいの林檎たち”なのかもしれない。生き難い人間社会を生きていく上に、少しは役立ったように思えた。

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