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8月12日 平和主日礼拝 「ピースメイカー」

マタイによる福音書5章9節

みなさん、お帰りなさい。本日は平和主日礼拝として礼拝を守っています。

「平和を実現する人々は幸いである」と主イエスはおっしゃっています。

以前の訳では「平和をつくり出す人たちは」となっていました。これは、

イエスさまからの私たちへの「平和を実現し、つくり出す者は幸いだ、

そういう者になれ」という命令でしょう。

 この「平和を実現する人々」という言葉ですが、原文では、平和という言葉と「造る、生み出す」という言葉が結合された一つの単語です。英語で言えば、今日のタイトルにしましたように、“peacemaker”です。

私たちは、イエスさまから“peacemaker”となっているか、そのように生きているか、と問われているのです。調停者、仲裁者

 イエスさまは、平和を愛する人々は幸いだとおっしゃっているのでも、平和を願う人々は幸いだ、といっておられるのでもありません。平和を実現し、つくり出す人々が幸いだとおっしゃっているのです。平和を実現するとは、争いや対立があるところに、平和を確立すること、人と人とが、あるいは自分と人とが対立し、いがみ合ってしまう、その問題を解決し、関係を正すことです。英語の調停者、仲裁者です。しかし、私たちはそのように平和を実現するのではなく、ただ争いを避け、問題から逃げ、またただ先送りするだけということが多いように思います。それは、平和を好むことではあるかもしれませんが、実現することとは到底言えません。本当に難しいことです。

 それでは、ただ争いをさけているだけでは平和を実現することにはならないから、その当面の問題解決に向けて、行動すればよいのでしょうか。争いというのは、互いが自分の正しさを主張することによって起こります。それぞれに自分の言い分があるのです。相手に自分の正しさを認めさせ、自分の言い分を受け入れさせる、そうなれば問題は解決する、そう思って行動するから争いは起こるのです。自分の正しさを確信している人ほど、そういう争いをしたがります。問題から逃げていてはいけない、ちゃんと白黒決着つけなければならない。しかしそれは結局、自分が相手に勝って、相手の間違いを正して、自分に屈服させることにしかならないのです。人間のすることです。争いや対立において、どちらかが完全に正しくて、どちらかが完全に間違っているというようなことはないからです。

 「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」と主イエスはおっしゃいました。平和を実現する人々は、神の子と呼ばれるのです。神の子、それは神のような人ということでしょう。それほど平和を実現することは困難だということです。そんなこと、私たちに出来ない、イエスさまは私たちに出来もしないことを命じられたのか、と思わされるほどです。しかし、イエスさまはその無理なことを私たちに命じておられるのです。

 この地上に平和を実現することは大変難しいことです。私たちにはせいぜい平和を願い祈ることくらいしか出来ない。主イエスさまはそのことはよくご存知でした。それゆえに、「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子とよばれる」と言われたのです。

 しかし、イエスさまのこのお言葉は困難さのみを語っておられるわけではありません。「幸いです」と言われています。それは、あなたがたはこの幸いに生きることが出来るという宣言をして下さっているのです。それはどのようにしてか。それを知るカギも、「その人たちは神の子と呼ばれる」という言葉の中にあります。「神の子」とは「神のような人」という意味だと先ほど申しました。それは、私たちがそう呼ばれる時には、そういう意味になるだろう、ということです。そして文字通り、神の子であられる方がただ一人おられます。それは言うまでもなく、主イエス・キリストです。イエスさまは神さまの独り子、文字通り神の子です。その神の子イエスがこの世にお生まれになったのは、私たちと神さまとの間に平和を実現して下さるためでした。神の子主イエスは、平和を実現する者としてこの世に来られたのです。

 私たちは元々、神さまに背き逆らい、敵対していました。それは神さまとの間が平和でなかったからです。信仰を持って神さまの下に生きるようになると、自分の自由を奪われ、自分らしく生き生きと生きることが出来なくなるという思いは、正にその敵対関係の現れです。神さまを自分の自由を奪い、」束縛する敵と感じているからです。

 エフェソの信徒への手紙214節以下354頁「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」

 イエスさまの十字架の意味がここにあります。それは神さまと敵対してしまっている私たちが、神さまとの間にある敵意という隔ての壁を取り壊して下さったのです。そのために、イエスさまは神と敵対してしまった私たちの身代わりとなって十字架で死んで下さった。

 私たちが平和を実現する者としての幸いに生きることが出来るのは、この神の子が、自分の罪の身代わりとなって死んでまで下さったことをただ信じることによるのです。

 この主イエスの自己犠牲によって、私たちは神さまとの間に平和を得ることが出来たのです。神さまを信じるということは、その敵意を取り除かれ、神さまの下で生きることを喜ぶ者となるということです。信仰者は、神さまとの平和を得ているのです。この平和を実現して下さったイエスさまこそが、私たちのピースメイカーとなって下さったのです。

 私たちには、平和を実現する力はない、しかし、私たちが平和を実現する者としての幸いに生きることが出来るのは、そのイエスさまを信じ、そのイエスさまの歩まれた道を歩むことによってです。

 矛盾して聞こえるかもしれませんが、「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」という今日の御言葉は、頑張ってこのようなものになれという命令ではなくて、あなた方のような無力な者であっても、この幸いに生きることが出来るという約束なのです。天における神さまと私たちの間の平和を実現して下さった主イエス・キリストと共に合うならば、私たちはこの地上に、天にある平和を映し出し、平和を実現する神の子として歩むことが出来るのです。

 最後に、週報の巻頭言にも記しましたが、そのようにピースメイカーとして歩んだ一人の人物の言葉を読んで終わりたいと思います。その人の名は、マルティン・ルーサー・キング キング牧師の名で知られ、“I have a dream”のスピーチでも有名なアメリカの公民権運動の指導者です。彼はサザンバプテストではありませんが、バプテスト派の牧師でもありました。手短に彼の歩みを紹介するのは、困難ですが、差別の激しかったアメリカ南部において、黒人の人種差別撤廃のために奔走しました。彼の運動を貫く理念は非暴力主義です。彼自身はインド独立の父とも言われるガンジーに倣ったのですが、彼の根底にあったのは、イエスの

彼は、ただ、そのイエスさまに倣ったのです。

 「汝の敵を愛せよ」

マルティン・ルーサー・キング 

「あなたがたの他人を苦しませる能力に対して、私たちは苦しみに耐える能力で対抗しよう。あなたがたの肉体による暴力に対して、私たちは魂の力で応戦しよう。どうぞ、やりたいようにやりなさい。それでも私たちはあなたがたを愛するであろう。

どんなに良心的に考えても、私たちはあなたがたの不正な法律には従えないし、不正な体制を受け入れることもできない。なぜなら、悪への非協力は、善への協力と同じほどの道徳的義務だからである。

だから、私たちを刑務所にぶち込みたいなら、そうするがよい。それでも、私たちはあなたがたを愛するであろう。私たちの家を爆弾で襲撃し、子どもたちを脅かしたいなら、そうするがよい。つらいことだが、それでも私たちは、あなたがたを愛するであろう。

真夜中に、頭巾をかぶったあなたがたの暴漢を私たちの共同体に送り、私たちをその辺の道端に引きずり出し、ぶん殴って半殺しにしたいなら、そうするがよい。それでも、私たちはあなたがたを愛するであろう。

国中に情報屋を回し、私たち黒人は文化的にもその他の面でも人種統合にふさわしくない、と人々に思わせたいなら、そうするがよい。それでも、私たちはあなたがたを愛するであろう。

しかし、覚えておいてほしい。私たちは苦しむ能力によってあなたがたを疲弊させ、いつの日か必ず自由を手にする、ということを。私たちは自分たち自身のために自由を勝ち取るだけでなく、きっとあなたがたをも勝ち取る。そうすれば、私たちの勝利は二重の勝利となろう」お祈りをしましょう。

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コメント

平和を作り出すのは、ただ“愛”でしか
無いでしょうね。
ともちゃん、元気で良かった 

投稿: ヒラリン | 2012年8月21日 (火) 09時35分

たしか、先生O教会にいたときにマタイのそこの箇所を、引用して話してくれたことがありましたよね。今でも、覚えていますよ。

わたしは、元気です。


娘さんと毎日『となりのトトロ』観てます。

投稿: ともちゃん | 2012年8月20日 (月) 15時09分

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