献身者
本日は、神学校週間を覚えての礼拝です。連盟内のそれぞれの神学校(東京バプテスト神学校、九州バプテスト神学校、西南学院大学神学部神学コース)と、そこで学ぶ神学生を覚えて祈りつつ、献げ礼拝しましょう。と、同時に、献身という全ての信徒にとって、神さまから問われているチャレンジを、受け留める時としましょう。
献身は、専属的意味での牧師・伝道師になることだけを指すのではありませんし、また、牧師・伝道師になる献身が、信徒としての献身より、レベルが上ということでもありません。確かに牧師・伝道師には誰でもが召されているのではなく、ある意味特別な側面があるのかもしれません。しかし、それは、召されている役割の違いです。
信徒の教会を根幹としているバプテスト教会は、牧師不在でも存在しますが、信徒不在では教会にはなりえません。主につながり、主の僕である牧師は、教会形成には必要ですが、神に、イエスさまに従いつつ、牧師と協力しながら、牧師を支え、共に教会を建て上げていく信徒の立場での献身者(信徒献身者)が起こされないことには、教会の働きは進められないからです。
復活のイエスさまは、私たちイエスを信じる者とその群れに、「すべての民をわたしの弟子にしなさい。」と命じられました(マタイ28章19節)。弟子を養成する道の第一歩は、自らがイエスさまの弟子となることです。
弟子ですから、師匠を信じ、その師匠に従うことが求められるのは必然です。師匠を信じ、師匠に従うことは、師匠に自らの存在と歩みを委ねること、それがイエスさまへの献身です。
私たちは、サタンに献身してないでしょうか。私たちは、お金に献身していないでしょうか。私たちが、自らと歩みを献げる対象は、ただ神さまであり、イエスさまであり、聖霊さまだけです。この神学校週間の時に、私たちそれぞれが自らの献身を吟味し、今一度思いを集中させて、礼拝しましょう。
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