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神の選び

ついにレベル7であることを、国が認めた。

地震直後から、チェルノブイリに匹敵するほどの事態になるのではと言われていた。にも関わらず、「レベル4だ」「5だ」としか発表せず、「ただちに人体に影響はないと思われる」という報道を国は繰り返した。その認識の甘さが、対応の遅れや拙さを生んだことに対して、国はどのように責任を取ろうとするのか。東電がとんでもない会社であることは明白だが、責任は東電にだけあるとは思えない。現政権はいうに及ばず、前政権がここまで原発行政を推進して来たのだから、彼らも言い逃れは出来ないであろう。

福島第一原発は、福島県双葉郡大熊町と双葉町にまたがって位置しているが、この大熊町と双葉町にはキリスト教会が一つだけ存在する。それが大熊町大野にある福島第一聖書バプテスト教会(保守バプテスト同盟)である。いや、放射能に汚染された元の場所に戻れるのが何年先になるのか分からないことからすると、大熊町に“在った”教会と言った方が相応しいのかもしれない。発電所まで約4キロほどに位置するこの教会は現在閉鎖されており、教会員の方たちは、避難生活を余儀なくされている。佐藤牧師ご一家を含め、50名ほどの方たちは先月末から、奥多摩のキャンプ場で生活されているとのこと。

受けられた苦しみと試練の過酷さを思うと、祈らざる得ない思いとなる。教会のホームページの佐藤彰牧師の『避難生活報告』の文章を読んでいた妻が声をあげた。何と佐藤彰牧師の誕生日は、3月11日だと言うのだ。(『避難生活報告 その7』)。 原発の町に唯一つ在った教会の牧師の誕生日が、震災の日というのは、偶然にしては出来すぎで、これはもう神のみ手にある現実としか思えない。

世間的な尺度で見るならば、この教会と佐藤牧師の“不幸”“不運”はとてつもなく大きなものであり、「神にも見捨てられた存在」ということになるのかもしれない。しかし、イエス・キリストの十字架の光で、この出来事を見るならば、これこそが「神の選び」なのかと思わされる。神の選び、それは過酷である。その理不尽さゆえ、「神さまどうしてですか」と私のような者でも叫ばざるをえなかった。直接被災もしていない者が、訳知り顔の評論家然として、簡単に口にすべきことではないかもしれない。しかし、これが神と共に歩む者の現実であり、キリスト信仰が世間一般に考えられるご利益宗教とは一線が画されるゆえんではないか、と思うのである。

佐藤牧師の『避難生活報告』の最新の報告を、長いが、全文引用させていただく。聖歌『とおきくにや』の歌詞にあるように、“揺れ動く地の中にあって、なお輝いている十字架を見る思い”となったから。

佐藤 彰牧師の避難生活生の声

避難生活報告 その16  4月8日金曜日
私たちは今週、日常を取り戻しました。朝7時に子供たちは食事をし、近所の子供たちと一緒に学校へ行きました。初日に、どきどきしながら中庭で待つ子供たちの緊張が伝わってくるようで、みんなが親になった気分で写真を撮り、祝福を祈って「いってらっしゃい」と声をかけました。「ただいま」と声がし、ほどなく遊び声が聞こえるのもいいものです。久々の日常に出遭ったようで、この瞬間だけ見るとまるで震災などなかったかのような、不思議な気持ちになります。何気ない日常がこんなにもいとおしいとは、これも震災のもたらした効果でしょうか。

4月3日の奥多摩での最初の日曜礼拝には、7,80名が集ったでしょうか。東京ということもあって、近郊に避難している教会員も家族とともにかけつけました。すでに書いたことですが、今回の震災でつくづく教会はすごいと思いました。建物が閉鎖し、信徒が散らされ、組織も規約も年間プログラムも役員会も無くなる中で、それでも教会は生き延びました。キリストの教会は、押されても、散らされても、決して消滅することがないことを知らされたのです。

正直なところ私は、地震と津波に追い討ちをかけるように原発事故が起こった当初、宣教の歴史もここで幕を閉じるのだと思いました。町が放射能に汚染され人々が消えたのでは、地域とともに立つ教会も存在しないと考えたのです。70年にわたるあの地域での宣教の歴史に、こんな形でピリオドを打つようになろうとは、思ってもいませんでした。やりきれない思いを胸に、これも現実と受け止め、あとは信徒の就職の世話と、それぞれの転居先にある教会に受け入れを依頼し、働き人を他の教会に紹介して、この地における私の働きも幕をおろすのだと。しかしその後の展開は、私の想像をはるかに超えるものでした。教会はぎりぎりの状態でいのちをつなぎ、生き延びたのです。

初代教会が迫害で散らされる中、生き生きと姿かたちをあらわしていった記録は、新約聖書で知っています。けれどもまさか現代のこの日本で、東北の田舎にある普通の教会の信徒たちが、行く当ても無く突然放り出されて、方々に散らされ、けれども何とか体制を持ち直し、互いに結び合い、キリストの体を再び形づくるようになろうとは、予想もしない展開でした。加えて大げさに言えば、教派を越えて私たちを応援してくださる日本各地や世界の教会が現れたのです。あまりのドラマ仕立てに、これはいったいだれの脚本ですかと、いぶかしがるほどです。

日曜日の夜、「それにしても、よく集まるね」と家内としみじみ語り合いました。今までも私たちは教会の渦中にいたはずです。けれども、見ているようで見えない世界があり、知っているようで知らない世界があることを知りました。見えるものが一つひとつ引き剥がされる中で見えてきた、震災で得た宝です。

「人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ。」詩篇37篇23~24節

ところで、米沢で雪景色をバックに手作り卒業式が行ったことについては、すでに報告しました。そして今週、親子ともども初めての土地での入学式を迎えました。ところが、着の身着のまま家を出てきたため、式で着るスーツがありません。そこでキャンプ場スタッフの方々に、似た体系の人のスーツからワイシャツ、ネクタイまでを探していただき、夫婦ともども拝借しての、ありがたみのいっそう増す入学式となりました。これもいつか、ゆくゆく語り継がれる思い出の一つになるのかと思うと、震災以降何だか語り継がれる出来事が加速度的に増え続け、整理がつかないまま、恵みの山に突入しそうです。

小学校に通い始めた子供たちも、地域の人たちが用立ててくださったランドセルがよほどうれしいらしく、学校から帰っても背にしている姿を見ると、おかしくもあり、微笑ましくも映ります。

他方私たちは、深刻な問題を抱えています。職場に呼び戻される兄弟がいる一方、キャンプ場でちょっとした就職説明会を企画したところ、10名もの人が集まったのには驚きました。子供たちの転校も、大学受験などを控えていると決断は容易でなく、いつ被災した高校が再開するのか、さらには戻ったとしても電車は動いているのか、など予測不能な状況下で、待ったなしに地元の高校に転校するか、それとも戻るのか、あるいは通信にするのかの決断が迫られています。震災は過酷です。あらゆるところに亀裂をもたらし、引き裂きます。せめてその心までも引き裂かれることのないように、私は牧師としての務めを果たさなければなりません。

どうか、お祈りください

福島第一聖書バプテスト教会とその教会員、そして佐藤彰先生の上に、神さまの豊かな祝福と慰めがあるようにお祈りいたします。

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コメント

佐藤先生には、私はまだ直接にはお会いしたことはありませんが、
ネット上では文章だけでなく、動画のメッセージ(CGNTV)を見させていただいています。
温厚な人柄には心惹かれます。

投稿: ヒラリン | 2011年4月15日 (金) 18時07分

私も佐藤先生の報告は、ブログ記事に書かせていただいてからずっと読んでいます。

>神の選び  ほんとにそのとおりかもしれません。
そう思わせられる佐藤先生の魂の文章ですね。
そしてお誕生日がなんと震災の日・・・

抜粋せず、全部引用なさった気持ち、わかる気がします。

投稿: nokonori | 2011年4月15日 (金) 17時11分

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