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私のこだわり① “珈琲” その壱

私は珈琲好きを自認している。インスタントコーヒーは飲まない。インスタントコーヒーを珈琲と呼ぶことを止めて欲しいと願っている。

子どもの頃は、珈琲の味が分からなかった(未だにビールの味は全く分からない)。インスタントコーヒーに砂糖たっぷりとミルクを入れないと飲めなかった。学習塾で講師をしている時の同僚の一人が珈琲の味の違いを語るのを聞いて、「そんなものか」と思ったのを覚えている。20代後半になってやっと、インスタントではあったが、ブラックで飲めるようになったものだった。

そんな私が珈琲にはまり込むようになったのは、大牟田時代に一軒の珈琲店と出会ったことに始まる。その頃は、まだ味はよく分かってはいなかったが、豆からドリップで飲むようになってはいた。

連れ合いと二人で大牟田の町を歩いていた時、彼女が一軒の珈琲店に注目して、そこに入ろうと言い出した。表通りにある店ではなく、小さなこじんまりとした店だった。店の構えからも何だか“こだわり”の店のようにも見えた。
店に入ると、カウンターの中のマスターらしき人物から「うちのメニューは珈琲だけで、ミルクも砂糖もお出ししていません」と告げられた。小さな店で、カウンターに7~8席と、そのトイメンに小さなテーブルが二つ置いてあり、他には豆等が陳列されているスペースがあるだけだった。

私の連れ合いは、珈琲好きだが、午後になってから飲むと眠れなくなる質。そのことをマスターに伝えると、「だまされたと思って、私の淹れる珈琲を飲んでみないか。珈琲を飲めば眠れなくなるということはない。それは思い込み。珈琲は人の心を和ませ、体をリラックスさせてくれるものだから」という。へー、おもろいこと言うマスターやなと思い、連れ合いもマスターおまかせで飲んでみた。結果、彼女はその日眠ることが出来た。珈琲の作用があったのか、マスターの暗示にかかってのことかは分からないが(笑い。マスターの淹れた珈琲はとても美味しかった。そのことは私たちの記憶には鮮烈に残りはしたが、その後、店の前を通ることはあっても中に入ることはなかった。

それから2年ほとだった頃であろうか、どんなきっかけだったかは思い出せないが、二人でその店に行く機会があった。たいした理由ではなかったと思う。おそらくたまたまその前を二人で通りかかった程度のことだったと思う。マスターは私たちのことを覚えてくれていた。
マスター 「寝れたでしょう?」
連れ合い 「はい、眠れました」

この流れからすると、その後すぐにその店に通うようになりそうなものだが、面白いことにそういうわけではなかった。珈琲が美味しかったのは事実なのだが、値段が高いのがネックになったのだろう。ここの珈琲一杯の値段は、600円!少しずつ珈琲にはまり出してはいたが、他のメニューは何もないし、珈琲一杯に600円出すほどの珈琲好きではまだなかったからかな・・・

それがである。二度あることは三度ある。天の神さまは、よっぽど私をこの店に行かそうと思われたのであろうか。うつで入院した病院でのこと(この病院も大牟田市内)。入院患者たちが次のような会話をしているのを耳にしたのだった。
(私の記憶の中からの再現シナリオ?)
患者A 「おい、行ったぞ、あの店に」
患者B 「変ったマスターだろ?砂糖もミルクもない店なんてな」
患者A 「でも、うまかったよな、あのマスターの珈琲は」
患者B 「俺も、○○さんに連れて行ってもらったんだ。」
砂糖もミルクもない店って?美味しい珈琲?変ったマスター?
二人に尋ねたら、やっぱりあのマスターの店だった。

で、それから、入院仲間を引き連れて、私はまたその珈琲店に行くことになったのだ。ただし、入院中の身、それでなくても、入院費用のバカ高い病院(一ヶ月約40万!)にいたのだから、しょっちゅうというわけには当然行かなかった。それでも珈琲好きを連れて何度か店に行ったものだった。淹れる湯の温度にこだわる高校教師や珈琲豆の営業マンなどと一緒に!

このマスターがまた、いろいろとやってくれるのだ。珈琲のこと、豆のことをいろいろと尋ねる私たちに、彼なりの独特の話術で丁寧に答えてくれるのはいいのだが、行くたびに淹れ方を変えてくるのだ。湯を注ぐのをさっと短時間ですませたり、すごくゆっくりと注いだりといった具合に。私も“の”の字を描くように湯を注ぐ、ということくらいは知っていたが、マスターはそんな淹れ方はしない。何とか淹れ方を盗もうと凝視する私たちを挑発するかのように、毎回出し方をかえてきた。独特の語りに耳を傾けていると、同じ種類の豆でも何とも味が違うように思えてくるのだ。

こんなこともあった。連れていった豆の営業マン、この“豆や”はアイスコーヒーは飲まない主義の人間だった。
曰く「アイスコーヒーは苦いだけ。それにシロップを入れてごまかしているに過ぎない。ただ苦いだけのコーヒーとあのべっとりとしたシロップの甘さは耐えられない」。
すると、このマスター、カウンターの奥の冷蔵庫から、冷やされた茶色の飲料を出してくるのだ。まさか、アイスコ珈琲なわけがないと思った。なぜなら、この店、基本のメニューにはアイスは入れていないからだ。その茶色の飲料を飲んだ“豆や”の顔が変る。美味しいのだ。当然、ミルクもシロップも入れはしない。私も飲んでみたが、珈琲の味がするのだ。でも、苦くないことは言うまでもなく、かといってすっぱいわけでもない。すっきりとした味で、のどにすがすがしさが残るのだ。私はあのアイス珈琲の味は忘れられないし、あれを超える冷たい飲み物には未だに出会ったことがない。マスターは気が向いたときにアイスを作るらしく、夏にいけばいつでも飲める代物ではないようだ。

それからは、その“豆や”と高校教師、そして、私の三人は、薀蓄を傾けながら珈琲を淹れ、入院仲間に飲ませるのが日常になってしまった。皆が喜んだかどうか、そんなことは二の次だった。かくして、私は珈琲ワールドにはまってしまったのだった。

この店、通信販売もしてくれるので、それ以降、高知に移ってからも、定期便として毎月送ってもらっていた。100グラムが600~700円だから、確かに安くはないが、それでもべらぼうな値段でもないのだが、それも1年ほど前に止めてしまった。そろそろ、一回、注文してみようか…

先日、自宅で珈琲を飲みながら、ふっと、この店とマスターのことを思い出した。

マスターに了承はとってないし、宣伝になるかは分からないが、まあいいだろう。後で、事後報告しておこう。

自家焙煎珈琲 Vin
 大牟田市本町1-1-1 電話 0944-56-5628
 11:00~18:00 毎週 水・木 定休日 (週休二日の喫茶店なんて他に聞いたことない!)

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コメント

ともちゃん、ご無沙汰です。
この喫茶店、かなり“風変わり”なとこです。それは所謂“普通”の喫茶店ではないという意味です。本物の珈琲を飲ませてくれる喫茶店なのです。マスターは独特な人ですが、ただ行くだけでなく、話しかけたら、面白いですよ。今度行った時に、「高知のヒラリンに聞いた」と言ってみて下さい。会話の糸口になるでしょうから。

投稿: ヒラリン | 2009年7月15日 (水) 06時05分

どうも、先生。お元気ですか?

わたしは、元気です。
さて、先生が書いた店一度だけ行ったことがあります。Cちゃんとぶらぶらした時に一回だけど行きました。あそこの珈琲は、わたしにとっても大人と感じたとこでしたね。また、今度は旦那様と行きたいですね

投稿: ともちゃん | 2009年7月14日 (火) 17時49分

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