嬉しかったこと
先週は連盟の定期総会で、ほぼ一週間留守をした。それにあわせて、東京在住の同窓生に声をかけて、皆で渋谷に集まった。
その中の一人の I 君、数年前に仕事でタイのチェンマイに住んでいたらしいのだが、私に熱心にキリスト教のことを聞いてくる。「いつクリスチャンになったか」「なぜ牧師になったのか」などなど。それらの尋ねに答えていくと、I 君、とても嬉しい次のような話をしてくれた。
「日本ではキリスト教に接する機会はなかったが、タイで日本から布教に来ていた日本人と出会った。そのご一家とは家族ぐるみの付き合いをしたのだが、帰国の際に、その人は空港にまで見送りに来てくれ、別れ際に私のために祈ってくれた。今までそんな体験をしたことはなかったので驚いたけれども、とても嬉しかった」
日本から“布教”に来たクリスチャン。ははーん、宣教師のことだろうな、と予想をつけて、名前を聞いてみて驚いた。その方はバプテスト同盟から派遣されているO宣教師だった。
私個人は、O先生との面識はない。以前にあった集会でお顔を拝見した程度。しかし、私の妻が昨年のチェンマイで行なわれたアジアバプテスト大会の時には、一方ならずお世話になり(ご迷惑をおかけした?)、彼女からはよ~くお名前を伺っていた。
タイは在留邦人の数が世界で一番多いと聞いている。O先生も多くの日本人と現地で出会われたことだと思う。 I 君の話によると、先生とは子どものサッカーのことで知り合いになったとのこと。ということは、プライベートな時間での出会い。しかし、O先生がそのプライベートな中での未信者との出会いを大切にされていたことがこのことで判明した。酒の席でのことではあったが、その時のことを話しだすと、I 君の目が潤んでいた。彼にしてみれば、初めて出会ったクリスチャン、そのクリスチャンに自分たち一家のことを心を込めて祈ってもらった。彼にとってそれは衝撃の体験であり、忘れられない出来事となった。
毎日の中での人との出会い。そんな小さな出会いを大切にすることは、言うは易し、行なうに難しだ。O先生にとって、 I 君との出会いをどのように扱うかは、宣教師としての働きには直接関係がないと思える。それがひょんなことから、同業者の私の耳に入ることになった。そんなこと、O先生が知ろうはずもない。でも、O先生が出会う一人ひとりを大切にされ、小さな取るに足らないと思えることを忠実に心を込めて対処されていたことが明らかになった。こういう人が大きなことにも忠実に任務を果たすのだろう。自分自身の日々のあり方をも考えさせられる話であった。
I 君には、チャンスがあれば、日本でも教会に行ってね、と勧めておいた。
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