『それでもボクはやってない』
昨日は映画の日。始まった頃は、12月1日だけだったけど、いつからか毎月になった。安く映画を楽しめるのはウレシイ限り。朝からシネコンへ。だって、一般映画の封切を観るなら、シネコンしかないのだから・・・。切符売り場は長蛇の列 とはいかないまでも、いつもよりは、人は多目。チケット売り場のお姉さんの「お席はどこにいたしましょうか」。何回言われても、慣れないなあ。便利だしいいんだけど、違和感を感じてしまう。
周防正行監督11年振りの新作。彼の作品は、84年のデビュー作のピンク映画を除いて、一応全部おさえている。このデビュー作というのが、伝説の映画(全編 小津安二郎へのオマージュだという)で、観てみたいのだが、まだチャンスはない。それから22年間で5作だけ、本当に寡作な監督だ。
痴漢冤罪の法廷もの 内容はシリアスなんだけど、全く重苦しくない。劇的展開もないのに、これが面白いのだから驚きだ。周防監督は撮りたいものしか撮らない人。“修行僧”⇒“学生相撲”⇒“社交ダンス”と来て、今回は“刑事裁判”。
日本の刑事裁判の問題性を伝えようとしたのだろうな、その点ではよく描かれていると思う。彼の作品は確か全部自分で脚本も書いていたと思う。今回も2,3年かかって書き上げたとのこと。映画って、どんなに面白い話であっても、展開にウソっぽさがあればそれで興ざめしてしまう。また細部においてもおかしな点を感じれば、それで、観る気がうせてしまう。その点でも、よく出来ていると思う。
痴漢事件の審理って難しいし、問題性をはらんでいることは、以前より聞いてはいたけど、実際の裁判ってこんなのなのか。日本では刑事裁判は99.9%有罪になるらしい。裁判って、法廷の場で真実を追求するために行なうのだから、それってどう考えてもおかしいでしょう?。こんな数字が結果になっているなら、システムそのものに問題があると考えるのは自然なこと。それで、裁判員制度なのかなあ。
見ていて、全く別なことを思わされた。それは牧師と云う仕事のありがたさ。人を信じることが仕事になるなんて、本当に恵まれている。映画の中に登場する、刑事や検事や裁判官たち。日々送られてくる被疑者たちを相手にし、その仕事をこなしていかねばならない。相手はどんな状況であれ逮捕され、身柄を拘束されて送られて来る。そんな人たちを相手に、日々仕事していたら、あのような言動にならざるをえないのだろう。最近読んだ本で、信じることがすべての関係を生み出し、あらゆる問題は信じることで解決されるのだ、と教えられた。人を疑うことを仕事にして、そんな中で自分自身を保つことって、本当に大変だと思う。私には出来そうにない。周囲の人間には分からない、その役割の素晴らしさや遣り甲斐があるのだろうけど、私には見つけ出す自信がない。その前に、自分が壊れてしまいそう。そういった仕事をして下さっている人たちのためにも祈らねばならない。人を疑うことからスタートせねばならないのは、大変だと思う。人を信じることを仕事に出来るのは、とても恵まれている。感謝!!出来ているかは全く自信がないけれども・・・。
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